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パヴァロア / 柴田 浩子

 

 ニュージーランドに、パヴァロアというお菓子があります。

 

 はじめて口にしたのはこの国に滞在しはじめて間もなく、ニュージー

 

ランド人の知人からディナーに招待されたときでした。

 

 大皿にのせられて食卓の中央に置かれたそれは、まるで首を羽根

 

にうずめて眠る白鳥のようでした。それがパヴァロアでした。

 

 大きめに切り分けられたパヴァロアは、たっぷりフルーツソ−スを

 

かけられ、さらに生クリームまで添えられて饗(きょう)されました。すで

 

に満腹状態だった私は、とても食べきれないと思いました。ところが、

 

ひと口味わったとたん、私はパヴァロアのとりこになってしまったのです。

 

 口の中でやわらかく溶けひろがっていく感触、味蕾(みらい)を絶妙なバランスで刺激するクリームとフル

 

ーツソースのハーモニー。それは、まさに衝撃的な出会いでした。食べきれないどころではない、私はお

 

かわりまでしてしまったのです。それ以来、私のニュージーランドの日々は「アイ・ラブ・パヴァロア」になっ

 

たのでした。

 

 私のパヴァロア好きはたちまち友人達に知れわたり、ランチやディナーに招かれたときのデザートは、

 

決まってパヴァロアになりました。そして私はせっせと食べ続け、そのせいで帰国するときには体重が

 

六キロも増えてしまいました。

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 パヴァロアには、チャーミングなストーリーがあります。

 

 あるとき、往年の名バレリーナパヴァロアがニュージーランドで公演をしました。そのとき一人のシェフが

 

パヴァロアの舞う「瀕死の白鳥」にすっかり魅せられて、舞姫の美しい姿を永遠に自分のものにしたいと

 

願い、純白のケーキをつくりました。そしてパヴァロアと名づけたのだそうです。

 

 ニュージーランド人はそう言っていますが、後にオース

 

トラリアに旅行したときもパヴァロアが登場しました。そ

 

して同じストーリーを聞かされました。もちろん、その話

 

の舞台はオーストラリアでした。

 

 どちらが正しいのか、私には知るよしもありません。

 

けれども独断と偏見から言わせてもらえば、パヴァロア

 

の優美な姿と繊細な味は、赤土の大陸オーストラリアよりも、緑の森と湖の国、こじんまりとしたニュージ

 

ーランドのほうがはるかに似合っているような気がします。

 

 

 私もウエリントン滞在中、数えきれないほどパヴァロアを焼きました。卵白と砂糖を硬くなるまで泡立て、

 

その泡を崩さないようにしながら少量の薄力粉を混ぜます。それにバニラエッセンスをくわえた生地を

 

まるいケーキ型に流しこんで、オーブンのごくごく弱火で一時間半ほど焼きます。

 

 焼きあがったケーキが十分冷めてから、泡立てた生クリームで全体をすっぽりと被います。これで白鳥

 

のパヴァロアはできあがります。

 

 レシピはこのようにごくシンプルなのですが、その実大変難しいのがケーキ作りです。生地の出来不出

 

来ももちろんポイントですが、一番苦労するのがオーブンの火の加減です。けっして焼き色をつけてはい

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けません。かといって、火が弱すぎれば、焼きあがったケーキは真ん中からへこんだり、萎(しぼ)んだりし

 

てしまいます。

 

 パヴァロアを焼くときは、オーブンのご機嫌をうかがいながら、まるで幼児(おさなご)を見守るがごとく

 

付きっきりになります。そうまでしても、なんどか失敗を重ねました。無残な姿のパヴァロアを目の前にし

 

たときは、泣きたくなります。

 

 それでも足かけ四年にわたる二度の滞在で、この繊細なケーキをなんとか満足のいく状態で焼けるよう

 

になりました。帰国後は家族や友人たちにわが腕前を披露したくて、ことあるごとに作ってみました。とこ

 

ろが日本で作る私のパヴァロアは、姿かたちはパヴァロアであっても、ニュージーランドで味わったもの

 

とは違うのです。口に入れた途端パッと味蕾に伝わってくる感動的な味わいがないのです。

 

 材料のちがいは当然あるでしょう。生クリームはニュージーランドのように濃厚で美味しいものは、日本

 

では手に入りません。卵も同じです。

 

 でも、それだけではないような気がします。パヴァロアを取り巻く背景が違うのです。やはりパヴァロア

 

は、ニュージーランドの青い空、緑の庭、澄んだ空気,そして友人隣人たちとの楽しい会話の中にあって

 

こそのケーキなのかもしれません。(完)

 

  
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