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蝦蟇(がま)の霊力 / 鈴木 弘

 

 今年の冬は異常なほど寒さがきびしかった。その冬が過ぎて,花の便りがとどきはじめ、ようやく木々の

 

緑が色濃くなったころ、朝の散歩で車道につづく裏道を歩いていたら、アスファルトから手のひらサイズの

 

土塊(つちくれ)のようなものが盛りあがっているのに気づいた。

 

 〈なんだろう?〉と目をこらすと、蝦蟇(がま)が立ち往生で死ん

 

でいる。それも死んでから相当時間がたっているのか、見事な

 

ほどに乾上がり、干物になっている。まるで置物のようだ。僕は

 

ポケットから手袋を取り出して手にはめ、つまみあげてみた。

 

蝦蟇は完全に固まっていて、四肢も硬くひらいている。裏返し

 

にしてみたら、黒く縞模様のはいった白い腹が初夏の陽ざしに

 

さらされた。

 

 多摩丘陵にあるこのあたりの団地では、梅雨のころになると

 

夜中に草むらからはいだして車にはねられるのか、蝦蟇の

 

轢死体を多く見かけるようになる。僕は朝の散歩のときに、

 

まだ無傷でうごいている蝦蟇を見つけると、拾い上げて、近くの草地や水辺にもっていって放してやる。

 

だが、蝦蟇のミイラを手にしたのはこのときが初めてだった。

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 今年の冬は異常気象で、二月の後半になると一挙に五月の気候に突入し、暖かい日がつづいた。だが

 

それも三日ともたず、今度は晴天でも気温は二月の寒さに逆戻りするという日が、入れかわり立ちかわり

 

訪れるありさまだった。

 

 蝦蟇は五月のような暖かな日に地中からはいだしてはみたものの、気候の急変にまきこまれて頓死(と

 

んし)したのではなかろうか。さもなければ、かくも完璧な立ち姿でミイラにはならないだろう。僕は蝦蟇の

 

ミイラを道の端にずらしておいた。蝦蟇が車につぶされたり人に踏まれたりして、破損してはもったいない

 

と思ったからだ。

 

 

 その日夜半から明朝にかけて、暖かい雨がはげしく降った。次の日の朝,僕は蝦蟇のミイラはどうなっ

 

ただろうかと気になったので、裏道に出かけて見た。すると、蝦蟇は置かれたところにどっしりと鎮座まし

 

ましていた。

 

 驚いたことに体全体の皮膚はしっとりとうるおい、表皮のイボイボが見えるほどに生気をとりもどしてい

 

る。瞼こそ閉じてはいるものの、口は一文字にひき締められ、あっぱれ王者のツラガマエである。感服し

 

つつ、手袋をつけた手でふたたび拾い上げてみたが、生命がよみがえった気配はない。

 

 このままでは、今度は鳥に啄(ついば)まれかねないと思い、〈どこかに移してやろう〉と見まわすと、道

 

の向いに低い石垣で囲った空地が目についた。空地の端には、よもぎの新芽が茂っている。その根元へ

 

蝦蟇を移した。

 

 〈もしかすると、諸病に効くというヨモギの薬効で、蘇生するかもしれない〉と、僕はひそかに期待した。

 

 その次の日の朝、蝦蟇がどうなったか気になっていたので裏道に急いだ。よもぎの根元を覗うと、蝦蟇

 

は目を閉じたまま、鎮座していた。手にとって裏返してみたら、縞模様の腹にたくさんの小さな蟻がむらが

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っていた。これで、僕のかすかな希望はうちくだかれた。〈蝦蟇は蟻のえじきとなった。あと僕にできること

 

は、蝦蟇が土にかえってゆくのを、しずかに見守るだけだ〉

 

 ところが次の日の朝、よもぎのしげみから蝦蟇の姿が消えた。

 

 野鳥がやってくるような場所でもないし、蝦蟇は乾燥しきってこちこちに固まっているから、野犬や

 

野ネコの食欲も刺激しないだろう。いずれにせよ、蟻の次にどんな虫の解体屋がやってくるのか見てみた

 

い、という僕の思惑もはずされてしまった。

 

 すると別の考えが、脳裡(のうり)でむっくり頭をもたげてきた。

 

 〈ひょっとすると、よもぎの効力や森羅万象の霊力で蝦蟇は生きかえったのではなかろうか?〉

 

 それは、まったく根拠(こんきょ)のないかんがえではないのだ。

 

 六年ほど前、僕の家の前の道に鉢植えの木が捨てられて、鳥の巣のような根を中空にさらしていた。な

 

んの木かも判然としなかったが、枝ぶりから〈藤(ふじ)のようだな〉と見当をつけた。すこし離れた道路わ

 

きに、首のない地蔵が三体ならんでいる空地がある。地蔵の側をすこしスコップで掘ってその木を植え、

 

バケツ一杯の水をそそいだ。

 

 その日の夜も、夜半に暖かい雨がはげしく降ったのだ。次の日の朝地蔵のならぶ空き地にいってみた

 

ら、なんと枯れたと思っていた木の枝先から柿の種ほどの若葉が一枚顔をのぞかせ、朝日に輝いている

 

ではないか! 案の定、その気は藤の木だった。

 

 それからというもの、僕は藤の木に水をやり、家庭菜園用の肥料をふりまき、雑草をむしって藤の木の

 

世話をした。半年もすると藤の木は完全に復活して若木となり、一年後の五月には枝も地にたれ赤紫の

 

花房を二つ三つ咲かせた。この藤の木の生々流転は、無聊(ぶりょう)をかこつ地蔵達を、さぞ慰めたこと

 

だろう。

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 そのようなことがあったのだが、藤の木は植物で、かたや蝦蟇は動物だから、このふたつに整合性はな

 

い。それでも蝦蟇は皮膚からガマの油をだして万能薬となすことを思えば、僕はミイラとなった蝦蟇の

 

復活という夢想をやすやすと捨てる気にはなれなかった。その後も、朝の散歩のときには時折りよもぎの

 

しげみを手でかき分け、遺体のかけらでも見つからないものかと探したが、天にのぼったか、地にもぐっ

 

たか、蝦蟇の行方はようとしてわからなかった。

 

 

 つい最近、蝦蟇は僕の夢にあらわれた。夢の中

 

の蝦蟇は健在そのもので、四つの足でのそのそ

 

と草地を踏みしめ、ときに立ちどまり、舌をペロリ

 

とだしたかと思うとむらがる蟻を呑みこんでいる

 

ようすであった。

 

 蝦蟇の行く末に思いをはせるのは、僕に長寿

 

願望があるせいではないだろうか。現在七十

 

七才の僕は、生命力という霊力の背にうちまた

 

がって、ゆくゆくは百才の高峰を踏破できないかと夢想しているくらいなのだから。(了)。

 

 

注) 蝦蟇:ヒキガエルの別称、ヒキガエル科のニホンヒキガエル

 

       (大型で土色、表皮にいぼがある)

 

  
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