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ユリウス・シュピタル(ユリウス慈善養老病院) / 谷 克二

 

 ヴュルツブルクは幕末の日本に西洋医学をもたらしたフォン・シーボルトの出身地として日本人にはな

 

じみが深いが、ドイツでは八世紀以来の司教座の街として、世界遺産の壮大なレジデンツ(司教館)があ

 

るバロックシティーとしてよく知られている。マイン川の河川

 

交通の要衝(ようしょう)だったから、街には交易による利益

 

や水運による通行税が豊富に流れこんで繁栄した。その富

 

を16世紀に惜しみなく老人や病人、貧民のためにそそぎこ

 

んだのが、当時の司教領主だったユリウス・エヒター・ファン・

 

メスプルブルンで、慈善施設の建設に着手したのは1597

 

年。3年後に最初の建物が市の城壁の北側に完成した。

 

ちなみにこの時期の日本は、織田信長が安土城に入って

 

本能寺の変に倒れるまでの三年間にあたる。私はそのユリウス養老慈善病院の中庭にいる。四方を

 

高い建物に囲まれているのに閉塞感をまったく感じないのは、庭が公園のように広々としていて草花や

 

樹木が風にそよぎ、見上げると青空があかるく広がっているからである。散歩をする老人の姿や、ベンチ

 

で陽光を楽しむ患者の姿が散見された。ガイドのミューラー夫人が「現在のベッド数は380、養護老人

 

施設の部屋の数は150、アパート形式の部屋は120あります」と説明した。そして、私の視線を涼しげな

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水音を立てている噴水に誘い「マイン川と、マインに合流する三つの川ズイン、エヒタ、タウバーを表わし

 

ています」と説明したのは、慈善病院は マイン川の恵みと言いたのだろう。「病院の財政を支えるために

 

、ユリウス・エヒターは膨大な教会領を病院に寄贈しました。そのおかげで数々の戦争や火事などの

 

惨禍から立ち直り、後にバロック様式の建物などつけくわえて今日の姿になったのです。現在は付属

 

施設として、看護師や養護師を育成する専門学校、大学の医学研究アカデミーも含まれています」

 

 中庭から回廊に上がると次の建物に通り抜ける通路の壁に創始者である司教領主

 

ユリウス・エヒターによる建設の主旨がきざまれた石碑が飾られている。「主よ、あな

 

たに哀れなる者達をゆだねます。あなたの御手に私は希望を見いだします」ここには

 

300年にわたって薬を調合してきた薬局があって、芸術作品ともいえるほど美しい

 

ロココ様式の仕事場ものこっている。薬局は今でも薬を調合、各病院に配達をして

 

いる。地下にはワイン蔵があり、220のオークの大樽に65万リットルのフランケン

 

ワインが常時貯蔵されている。(完)

  
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