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美しき閃光を追う / 谷 克二

 ある秋の日、フランクフルトに到着した私は、空港のレンタカーで借りたランチャー・テーマVで南ドイツ

 

にむかって走りだした。ルートでいえば、中部ドイツからライン川沿いにアルプスに向かうことになる。アウ

 

トバーンにのり、一時間ほど走ったとき、軽い空気圧をうちつけてマリーンブルーの閃光が左の車線を

 

駆けぬけた。「ベンツのSLK…」

 

 

 小ぶりなスポーツタイプのボディーから、とっさにそう判断してスピードメータに目をやった。ゲージが

 

150キロの数字の上でふるえている。軽々と追いこしていったところを見ると、SLKは180か190は

 

だしているだろう。ダイムラー・クライスラー社が2004年9月にフルモデルチェンジをしたツーシーターの

 

スポーツタイプの小型車は、燦爛ときらめく秋の光りをうけて、ブルーの宝石のようにキラキラと輝きなが

 

ら遠ざかっていく。敏捷で華麗な走りだった。

 

 バリオフードがあいている。ドライバーは女性だった。彫りの深い顔にサングラスをかけ、シャネルなの

 

かエルメスなのか、洒落たパターンのスカーフで金色の髪をおさえている。ステアリングにかるく手をおい

 

た姿勢はまったくくつろいでいて、高速運転の緊張感はどこにも窺えない。

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 ふと、遊び心が心の中でゆれた。〈こちらの車も、排気量5000ccクラス。ならば…〉とアクセルを踏み

 

こみ、スピードをあげた。車を左の車線に移して、SLKのうしろにピタリとつけ、左のウインカーを点滅さ

 

せて「追い越しをかける」というシグナルを送った。すると、まるで影がすべるようななめらかさで、SLKが

 

遠ざかりだした。毛ほどもムリのない加速で、ブルーの宝石が離れていく。私はアクセルをさらに踏みこ

 

み、追いつこうとした。すると、またスッと距離があく。SLKを運転する女性はあきらかに追走してきた車

 

の性能も、運転する者の下心も見ぬいていて、無邪気に走りを楽しんでいる風情だった。

 

 「追いつけるものなら、追いついてごらん」陽気な笑い声が聞こえてくるようだった。

 

 私は早々に遊び心を消すことにした。SLKはドライバーの意志にかるがると反応している。こちらの車

 

は、そういう機能をそなえたタイプの車ではない。それに、いかにスピード無制限のアウトバーンであって

 

も、カーチェイスまでして遊ぶのは危険をともないかねない。車を普通の走行車線にもどした。

 

 SLKのナンバーが、脳裡にのこっていた。「S」で始まるから、シュトゥットガルト(Stuttgart)の登録車

 

である。スピードを150キロにもどすと、ふたたびドライブをたのしむ余裕がもどってきた。

 

 窓からさわやかな秋風がながれこみ、肌をなぶる。「黄金の十月」と呼ばれるにふさわしく、色づいた

 

樹々に覆われた丘陵がゆっくり移動をしていく。秋空はたかく、青く澄みわたっている。

 

 やがてアウトバーンの表識に「カールスルーエ三叉点」の表示があらわれた。シュトゥットガルトからは

 

約60キロ。ここでアウトバーンはそのまま南に進む五号線、シュトゥットガルトにむかう八号線、西のフラ

 

ンスに走っていく六十五号線にわかれる。標識の指示にしたがって、車はそれぞれ右に左にうごき、

 

車線をチェンジしていく。車の流れるスピードが、グンとにぶくなった。私は五号線を南下するから、中央

 

車線で150キロのスピードを保っていた。そのときフロントガラスの向こうを、Sナンバー、マリーンブルー

 

のSLKが右へ右へとながれていくのが見えた。車線変更のため、スピードが落ちている。二つの車は、

 

すぐに並走状態になった。

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 運転席の女性が、チラッとこちらに顔をむけた。唇が笑いでほころびている。私は片手をあげて、かるく

 

会釈をおくった。相手はうなずいたようにも見えた。「気をつけてね。カーチェイス、楽しかったわよ」と言っ

 

ているようにも思えた。微笑みをあざやかな残像にのこして、SLKは大きカーブを描きながら、シュトゥッ

 

トガルトにむかう八号線に走り込んでいった。(完)。

  
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