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雨ふり / 沖 多津子

 

 私が関わっている「外国人のための日本語教室」の生徒たちが、あるパーティーで日本の歌を歌うこと

 

になった。生徒たちといっても、アジアおよび環太平洋の国々から日本に派遣されて駐在している外交官

 

の夫人たちである。

 

 教師が歌いやすそうな歌をいくつか選び、生徒たちがその中から一つを選ぶ、ということになった。「さく

 

ら、さくら」「上を向いて歩こう」「ふるさと」など、いくつかの歌の中から彼女たちが満場一致で選んだのが

 

「雨ふり」だった。「雨雨ふれふれ、母さんが…」と、私が子供のころよく歌った歌だ。少なからず意外な感

 

じがした。ちょうど梅雨の季節だったので、教師からすればたまたま加えたという感じの歌だったからだ。

 

 満場一致となった理由が興味深かった。私は「歌詞

 

やメロディの単純さが、満場一致の理由だろう」と思っ

 

ていたのだが、そうではなく、夫人たちが魅了されたの

 

は、その歌詞にあらわれている日本人の母と子の情愛

 

と、他人に対するやさしさだという。

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一、雨雨ふれふれ かあさんが

 

  蛇の目でおむかえ うれしいな

 

  *ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

 

 

二、かけましょカバンを かあさんの

 

  あとからゆこゆこ かねがなる

 

  (*印繰り返し)

 

 

三、あれあれあの子はずぶぬれだ

 

  やなぎのねかたで泣いている

 

  (*印繰り返し)

 

 

四、かあさんぼくのを かしましょか

 

  きみきみこのかさ さしたまえ

 

  (*印繰り返し)

 

 

五、ぼくならいいんだ、かあさんの

 

  おおきな蛇の目に入ってく

 

  (*印繰り返し)

3

 

 海外の多くの国では、雨が降っても母親が傘をもって学校に迎えにいくという習慣はないそうだ。子供

 

たちはどこかで雨宿りをするか、またはずぶ濡れになりながら走ってかえってくる。この歌詞に描かれて

 

いる母の姿は、「愛に満ち溢れている」と彼女らはいう。特に四番と五番の歌詞には、日本人の道徳感が

 

あらわれていて感銘をうけるという。

 

 私たち日本人はあまり気にもとめていなかったことが、外国人には新鮮に興味深く、ある種の感動さえ

 

ともなって受け取られるのだと気づかされた。あまりの褒められように、面映ゆい思いさえする。私が

 

子供のころは、このような情景があたり前のように見られたからだ。

 

 蛇の目ではなかったが、私の母も傘をもって学校まで迎えにきてくれた。やなぎの根方で泣いてはいな

 

かったが、私も友達に傘を貸したことがある。いま思い出してみると、雨の日の母親の出迎えは、子供心

 

にとてもうれしいことだったに違いない。学校でのでき

 

ごとなどを話しながら、その日のおやつを聞きだすのも

 

楽しかった。

 

 「さあ、なんでしょう、帰ってのお楽しみ」母の答えは

 

決まっていたが、それでもあれこれ探りを入れながら、

 

少しでもヒントをえようと知恵を絞ったものだった。

 

 

 最近はそのような光景をめったに見かけなくなった。

 

小学校の教師をしている知人に尋ねてみたところ、

 

いまは教室に設置されている各個人のロッカーに、

 

置き傘をしているのだそうだ。

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 仕事を持つ母親もふえ、傘をもってわが子を学校まで迎えにいくのも難しいという社会的な背景がある。

 

そして「平等」という教育的見地から、迎えにきてもらえない児童がさびしい思いをしないように、という

 

配慮もあるそうだ。

 

 なるほど、確かにそうだ。経済の発展にともない、女性が社会に進出する機会は急速に増加した。これ

 

は望ましいことであり、また社会にとっても必要なことだ。しかし女性が子供を育てながら働ける社会が

 

十分に成熟していない日本の状況では、なにか、それもかなり大切な「なにか」が犠牲になっているよう

 

な気がしてならない。

 

 傘をもって迎えにいくことや、手作りのおやつで子供を迎えるという類のことだけが、母親の子供に対す

 

る愛情表現では、もちろんないだろう。しかし、これも大切な母子のひとときであることは否定できない。

 

 すべての児童が置き傘をしているのでは、柳の根方で泣いている友達への思いやりも生まれてこない

 

かもしれない。道徳の時間で教わる道徳よりも、このような小さなことの中にきらりと光るものこそが、

 

哀れみや愛しみなどの深い道義心を育てる芽になるのではなかろうかと私は思う。

 

 外交官夫人たちが、このシンプルな歌詞の中に見出したもの、それはいまとなっては、私たち日本人に

 

とっても、遠い記憶の中のなつかしい一コマとして、一抹のさびしさとともに思い出されるものになってしま

 

ったような気がする。(完)。

  
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