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頬をつたう涙〜東日本大震災に寄せて / 片山 允代

 

 東北地方の三陸海岸を、マグニチュード九・〇という大地震が襲い、ついで大津波が文字どおり波状

 

攻撃で襲いかかったのは、平成二三年三月十一日午後二時四〇分ころのことであった。大地震とそれに

 

つづいた一連の大津波で三陸海岸では数十の市町村が壊滅(かいめつ)し、死者・行方不明者は二万

 

六千人にのぼった。その大震災が起こって、二〇日ばかり過ぎたころだったろうか。

 

 その日の夕方、私は家事をしながらテレビのニュース番組を聴いていた。地震当初こそ食い入るように

 

見ていたテレビの画面だったのだが、被災地の様子は無残なままだし、福島県の第一原子力発電所の

 

津波による事故に関して、修復の責任をおった東京電力のやっていることと言ったら、「絶対に自分のも

 

とにもどってこない男に、手練手管をつくして追いかけている女のよう」と思うこともあって、画面に注目す

 

ることも少なくなっていった。

 

 被災した保育園がやむなく廃園に追いこまれたと、アナ

 

ウンサーが報じている。その裏に子供達の歌声が聞こえ

 

る。幼稚園や保育園の卒園式でよく歌われる「思い出の

 

アルバム」という歌だ。

 

 いつのことだか思い出してごらん

 

 あんなこと、こんなこと、あったでしょう、で始まる。

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 私はこの歌が好きで、七〇半ばを過ぎたこの年齢になってもこの歌を聴くと、ふと涙ぐんでしまう。

 

思わず画面を見た。子供たちが大きな口をあけて、元気よく歌っている。カメラは一人の子供の顔を

 

クローズアップで写しだしていた。

 

 その子は歌いながら泣いていた。閉じた目に大粒の涙がふくれあがり、それが丸い頬をつたってころが

 

り落ちた。それを見たとたん、私の目からも涙があふれでた。

 

 この歌は四つや五つの子供が泣きながら歌う歌ではない。卒園式で子供たちは、このときとばかり、声

 

をはりあげて歌う。事実テレビの画面でも、ある子供は力んでマッ赤になった顔を前につきだし、大声だし

 

て歌っている。そんな子供たちの様子を見ている保護者と保育園の先生たちは、泣き笑いをしながら赤く

 

なったまぶたをハンカチで押さえている。それが常であり、そのように歌われる歌なのだ。

 

 

 いつのことだか思い出してごらん

 

 あんなこと、こんなこと、あったでしょう

 

  うれしかったこと、面白かったこと、いつになっても忘れない

 

  春のことです、思い出してごらん、あんなこと、こんなこと、あったでしょう

 

  ぽかぽかの庭で楽しく遊んだ、きれいな花も咲いていた

 

 夏のことです…、秋のことです…、

 

と四季それぞれの楽しさを歌い、最後は、桃のお花もきれいに咲いて、もうすぐみんなは一年生、でしめく

 

くられる。

 

 テレビに写しだされている子は、しゃくりあげながらも歌っていた。私の目からあふれでた涙は自らの

 

嗚咽(おえつ)を誘い、私以外のだれもいないのを幸いに、私はその子の悲しみの大きさを思って大泣き

 

をした。

3

 

 被災者でいっぱいの避難所が写しだされると、私は第二次

 

世界大戦で爆撃をうけ、家を失ったときのことを思いだす。

 

通っていた小学校(当時は国民学校)の鉄筋コンクリート三階

 

建ての校舎は新館とよばれていたが、そこが爆撃で焼けださ

 

れた人たちの避難所となっていた。私たち家族も、ひとまずそ

 

こに落ち着いた。終戦もちかい真夏のことで、そこで何日過ごしたかは覚えていない。木の床にジカに座

 

るのも苦ではなかった。避難をしている人たちはお互いに気をつかい、心配りをおこたらなかった。しかし

 

一塊になっている家族と家族をへだてる床の隙間には、そこここに大便があった。便所は水洗の装置が

 

壊れていて、和式の便器には流れないままのものが山型をつくっていた。小学校三年生だった弟は、

 

「しゃがみこんだとたんに、他人のものがお尻にちょこっと触った。あのときの気色の悪い、冷たい感触は、

 

いまでも覚えている」と語る。そんなこともあって、今回の東日本の大地震・大津波の避難所の人々を

 

心から気の毒には思ってみても、〈私も昔は、同じようなことを体験したんだわ〉と目をそらす気持ちが

 

あった。

 

 しかし被災地から遠く離れた南アルプスの麓での自分の安穏(あんのん)な暮らしを思ったとき、同じ

 

日本にいながら、彼我(ひが)のあまりの落差と、〈なぜあの人たちだけが・・・〉という思いがわきあがって

 

きて、後ろめたさでしばらくはなにも手がつかなくなってしまった。家の中をウロウロする日がつづいた。

 

そしてその間に胸にたまった重いものが、テレビに写ったあの子の涙を見たときに、心の蓋(ふた)を破っ

 

て子供の涙に誘われるように一気にドッとあふれだしてきたのだった。

 

 テレビの画面がきりかわり、涙が止まってすこし楽になった私は、自分の気持ちを具体的なかたちにか

 

えて被災地の子供たちのためにつかってくれる団体に託そうと思いついた。あの子供の涙の原因を想像

 

するのはつらいが、私はただただ祈りながらいまはそうした団体をさがしている。

  
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