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若いお坊さん / 沖 多津子

 

 先日親戚の法事があった。会場の控え室に入ると、すでに到着している親類縁者の間で、なにやらざ

 

わめきがおこっている。聞くと、菩提寺からきてくれることになっていた住職が、出かける間際になって腰

 

を痛め、うごけなくなってしまったそうだ。代理の僧侶を手配してくれるということらしいが、法事の主催者

 

は気が気ではないようすだった。

 

 ほどなく連絡が入った。それによると、あいにく他寺の僧侶も都合がつかず、急遽(きゅうきょ)住職の

 

息子が会場に向かっているという。息子は仏教系の大学の学生で、以前にも住職の代わりを務めたこと

 

があるという話だった。とにかく無事に法事がとりおこなえそうで、一同まずはひとまず安堵した。

 

 一時間遅れで法事は始まった。ところが、会場の静まりか

 

えった空気を破って颯爽(さっそう)と登場した若者の姿を見

 

て、一同は息をのみ目をまるくした。それは僧侶というイメー

 

ジから、かなりかけ離れたものだったからだ。背の高いその

 

若者の顔は、みごとに日焼けをしていた。ヘアスタイルは、

 

サッカーのサムライジャパンのメンバー本田圭佑そっくりに、

 

短くカットした金髪を頭頂部でツンとたてていた。片方の耳に

 

はピアスがついている。立っているときには見えなかったが、

 

祭壇に向かって椅子に腰をかけると、法衣の下からジーンズのすりきれた裾がのぞいていた。

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 読経がまた、なんとも初々しくも心もとないものだった。小学校一年生が一生懸命教科書を読んでいる

 

ような調子で、一語一語丁寧(ていねい)に経典を読んでいく。そのうち躓(つまず)くのではないかと、

 

ハンカチをにぎりしめる私の手には知らず知らずに力がこもる。親類縁者も同様らしく、顔を見合わせたり

 

不自然に体をうごかしたり。若いお坊さんが無事に経典を読み終えたときには、どこからともなくホーッと

 

言うため息が聞こえてきた。

 

 私も肩の力がぬけていくのが分かった。彼の母親になったような気分になっていて、「はい、よくがんば

 

りました」と拍手したいほどだった。住職夫妻はどんなに心配しながら、この若者を送りだしたことだろう。

 

 「僕はまだ見習いの身ですから、法話はかんべんしてください」と若いお坊さんは不器用に頭をさげ、

 

一同うちそろっての見送りも「いえ、結構です」と手で制しながら、そそくさと会場を出ていった。

 

 法事のあとの会食では、この住職代理の若者の話題で皆おおいに盛りあがった。天寿をまっとうした

 

伯父の十三回忌ともなれば、悲しみなどは鵜の毛でついたほどもなく、個人を偲ぶと言うよりか、集まった

 

者の近況報告会のようなものだ。そのような雰囲気に、金髪、ピアスにジーンズばきの若いお坊さんは格好の

 

話題を提供してくれたのだ。

 

 「あんな読経なら、自分のほうがよほどうまい」と憤慨するものがいる一方で、「ありがたみには欠けるけ

 

ど、分かりやすくてよかった」と弁護する者もいる。だが法衣からのぞいていたジーンズには、だれからも

 

フォローがなかった。あの若いお坊さんは、あわてていたので脱ぐのを忘れていたのだろうか?

 

それとも一刻もはやく、カッコのいいバイクにうちまたがって、ウイークエンドのたのしみへと疾走したかっ

 

たからなのだろうか? それらは知る由もないが、私はこの点に関しては苦笑をせざるをえない。

 

 若いお坊さんもこの先さまざまな修行をつんで、やがては父親のように落ち着きと貫禄を備えた住職に

 

なることだろう。金髪は黒髪に変わり、ピアスもはずされることだろう。法衣も心と体にしっくりとなじんで、

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法衣の裾からジーンズがのぞくようなことなど夢あるまい。読経も上達して、聞くものを心地よい弥陀(み

 

だ)の世界にいざなってくれるだろう。そして心に響く法話も、語れるようになるにちがいない。そんな彼を

 

想像すると、いまのヤンチャぶりもなんとなくほほ笑ましく、「マア、許せるか!」という気持ちになる。

 

 ハプニングに見舞われた法事だったが、私にとっては愉快なひとときでもあった。(完)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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