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冬の花 / 鈴木 弘

 

 冬は、かくれたものを顕(あらわ)にする季節ではなかろうか。

 

晴れてはいたが、寒い日であった。いつもは素っ気なくとおりすぎるガレージの前で、私は足をとめた。

 

ガレージの上部が幅五〇センチほどのコンクリートのタタキになっていて、そこに蔦(つた)が横にはい、

 

紅葉して、燦然(さんぜん)とかがやいている。それはもう、立派な唐草模様だった。紅葉の草木は、その

 

葉緑素がアントシアニンで分解されて赤くなり、銀杏などではカルチノイドが発色して葉が黄色くなるの

 

だという。青葉のころ、そんなカクシ玉を彼らがもっているとは思いもよらない。

 

 バードウォッチのプロは、「冬は野鳥をさがすのに、もっともよい季節

 

だ」と言う。新緑のころは鳥の姿は葉陰にかくれて、見つけるのに苦労

 

するが、冬は木の実をついばむ姿が丸見えとなるからだ。

 

 冬の花をあれこれ思い浮かべてみた。まず、椿(ツバキ)、山茶花(サ

 

ザンカ)、お茶の花。それらはいずれも常緑樹で、夏のころには、そこに

 

その木があるとは気がつかない。それで、素っ気なくその前をとおりすぎ

 

る。それが、冬になって花を咲かすと、ついふりむいてしまう。

 

 だれに見せようと咲くのだろうか、公園の入り口に丈(たけ)が三メートルほどの山茶花が花盛りであっ

 

た。小春日和で、めずらしく大スズメバチが一匹とまって蜜(みつ)を吸っていた。冬は寒いので、昆虫に

 

花粉をはこんでもらうには不向きである。

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 またある日、椿の半開きの花にヒヨドリが頭を突っこんで蜜を吸っているのを見かけた。確かに鳥は花

 

粉をはこぶ運び屋だが、かれらは寒い季節には蜜よりエネルギーの豊富な木の実を好むのではなかろ

 

うか。そこで、この季節に花がいちばん頼りにするのは風だろう。冬は風がふんだんにある。見わたすと

 

ヤツデを始め、多くの冬の花は受粉を吹く風にたくしているように思える。

 

 ところで、冬を彩(いろど)る真打(しんうち)は、花より木の実ではなかろうか。それらは緑豊かな季節

 

には隠していたものを、十全にあらわにしている。その相方(あいかた)は鳥たちである。木の実は鳥たち

 

についばまれ、種は地にまかれ、春にはそれがつぎの命にうけつがれる。

 

 年をへて死をむかえる生は、いかなる意義があるのかと僕はいつも考えている。これといった業績もな

 

く年を重ねることに意義があるとすれば、それは自分なりの個性をほどほどにせよ開花させることではな

 

かろうか。それがかなわぬなら、せめて自分の挙措動作(きょそどうさ)が、周りの人々にいささかのぬく

 

もりを与え得るようになれないものだろうか。それは花が鳥や蜜蜂や風によって、つぎの命をはぐくむにも

 

似ているのではなかろうかと僕は思うのだが…。

 

 いかに日々を過ごすべきか、それは神仏への信心がない身であればこそ、せめてそれに代わって万象

 

(ばんしょう)を洞察する力くらいにはかわって欲しいものだ。(完)。

 

 

 

 

 

 

 

 

  
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