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愛の讃歌 / 玉木 直美

 

 私は今年で五〇になる主婦。夫はサラリーマンで娘がひとり、ごく普通の家庭をいとなんでいるが…。

 

 

 高校時代、憧れの彼に自分の思いを伝えたい一心で、ある計画を企てたことがある。それは歌が得意

 

だったので、テレビの「のど自慢大会」にでることだった。運よくある年、NHKの「のど自慢大会」が故郷

 

の町にやってきた。中学校の体育館を貸し切っての大騒ぎ! 田舎はこんなときには、やけに張り切る。

 

私はさっそく応募して、期待に胸ふくらませ、いろいろ空想してみた。

 

 〈まず、彼にこんな手紙を書く…〉

 

 「あなたの知っている人が、テレビに出ます。NHKののど自慢大会で歌を唄いますので、ぜひ見てくだ

 

さい」

 

 彼は手紙を読んでビックリ仰天、指折り数えて放送日を待つことになる。そして、その日テレビの画面で

 

熱唱する私の姿を見てハッと気ずいて…。その後二人は晴れてデート、やがてメデタシ、メデタシと。ウフ

 

フ…。

 

 そんなことを想像しながら、いよいよ予選の日舞台にあがった。歌う曲目は私の十八番〈愛の讃歌〉。

 

有名なアコーデオン奏者の横森良造さんが、メロディーを奏でる。私は緊張した面持ちでマイクの前に立

 

ち、心をこめて「あなたの燃える手で、私を抱きしめて…」と歌いだした。するとあろうことか、いきなり鐘

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が一つ「カーン」と鳴り響いた。

 

 

 〈エッ、ちょっと待ってよ。そりゃあないよ。まだ私、ろくすっぽ歌っ

 

てないのにィ!」一瞬なにが起こったのかと呆然としている私に

 

向かって、司会者は冷酷にも「はい、次の方」

 

 私はそのとき、落選という現実にショックをうけるより、「アァ、これ

 

で作戦失敗…」と悔しがった。次々に出場者が登場して歌うが、歌

 

の善し悪しより、なにか個性のある歌い方をする人に鐘がいくつも

 

鳴るようだ。結局は上手な人もふくめて何人かが晴れてテレビ

 

出演の栄光を手に入れた。

 

 私の歌唱力は、アッピール不足だったのだろうか? あるいは、自分という人間の存在感が稀薄だった

 

のだろうか? もっとデーンと構えていたら、結果はちがっていたかも…、などど思い返して、反省しきり。

 

 しかし人生は捨てたものじゃなくって、テレビ作戦は失敗したが、憧れの彼とのデートはやがてほどなく

 

実現し、仲良くなった。

 

 年ごろになると二人とも上京したが、そのころにはニックネームや「お前さん」などと、なにやら妙な呼び

 

方でよびあう仲になっていた。彼のために〈愛の讚歌〉を歌って熱愛をうったえるチャンスこそ逸したけれ

 

ど、私たちには愛情ではなく友情が芽生えていた。男と女であるはずなのに、人間どうしという関係が

 

先行し、会えば夢中でおしゃべりをし、電話ではいつも長話。どう見ても恋人どうしというより、仲良し二人

 

組。

 

 とうじ流行(はや)ったトア・エ・モアというペアの歌手が「ある日突然、二人は黙るの」と、友人から恋人

 

にうつる微妙な心理を美しい声で歌いあげていたが、私達にとっては、残念ながら無縁な曲だった。

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 そして月日が経ち、こんどは本当に思いがけなく、私はあるテレビ番組に出演することになった。それは

 

昭和五三年(一九七八)のこと。「野生号の航海」と銘うって、復元した古代の和船で八丈島から城ヶ島ま

 

での三百キロを航海するという企画があり、私は応募してその乗組員の一人に選ばれたのだ。野生号で

 

の航海は、私にとって人生で二度と経験できないと思えるほど豊かで貴重な体験をもたらしてくれた。

 

その体験談を、そのころ視聴率もたかい夜の番組「二三時ショー」で、艇長だった堀江健一さん(1962

 

年に太平洋をヨットで単独で横断したソロヨットセーラー)やクルー達と語った。 出演にあたって、日頃

 

ジーパンにTシャツといったラフな格好の私が、めずらしく赤い花柄模様のスーツと洒落こんでスタジオ

 

入りをした。あのとき、彼が偶然別人のように着飾っている私を見ていたとしたら、「アッ、俺の友人が出

 

ている」とテレビに見入っていたかもしれない。あるいは、彼の心に漣が立っただろうか?

 

 しかしいまにしてシミジミ思うのは、テレビで告白なんて考えるものじゃないということ。もしあのとき予選

 

で受かっていても、全国民の前で「カーン」と鐘一つでソソクサと退散、その上シッカリ彼に振られたりして

 

いたらダブルパンチでたまったものじゃない。そうなったら、お笑いものだった。ちょっぴり、動機が不純だ

 

ったかもしれないな。

 

 

 多くの歳月がさらに指の間から流れ落ち、思い出も遠くなったある日のこと、かっての憧れの彼と偶然

 

再会した。すでに彼も私も結婚していて、それぞれの人生を歩き、家庭も築き、すっかり疎遠になってしま

 

っていたある日のことだ。

 

 私は実家に帰省しようと、東京駅の構内を主人と歩いていた。その私の視線に、人込みをいく彼の姿が

 

見えた。

 

 「ちょっと待って。友達がいたから」と私は主人に言って、彼に駆けよった。

 

 「ひさしぶり」

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 「オォ、元気?」

 

 「うん。主人と一緒。ちょっと待っててね。紹介するわ」離れて立っていた主人を呼び寄せて、私は彼を

 

紹介した。

 

 「この人、高校の先輩のTさん」

 

 彼はピョコンと頭をさげて「Tです」

 

 すると主人が、唐突に「アァ、あなたが噂の彼ですか」

 

 

 エッ、ちょっと待ってよ。なに、それ? 私は主人に、

 

憧れの彼だった先輩の話をしたことは一度もないのだ。

 

彼も面食らったらしい。あわてて否定した。

 

 「いやいや、それは僕ではありません」

 

 妙にバツの悪い沈黙が、三人をつつみこんだ。私もチョ

 

 ッピリ冷や汗をかいた。

 

 「じゃあ」と彼。

 

 「元気でね」と私。

 

 「お前さんも」と言ってから、彼は主人に向かってもう

 

一度頭をさげて挨拶し、人込みに消えていった。

 

 それ以来、彼と会う機会もない。主人も、彼のことを話題にしたこともない。考えて見ると、私が遠い昔

 

テレビで大それた計画を企てたことなど、彼は知るよしもない。もしもその後、ことの顛末を話したところで

 

「アッハッハ」と笑われ、私の方も「ウフフ」と笑って、「そんなこともあったのよねぇ」と道化るにきまってる。

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 「若きウエルテルの悩み」ではないが、うら若い乙女の時代はちょっぴり甘酸っぱくて、胸キュンとなる

 

思い出があればあるほど、後に心が豊かになるような気がする。そして、それは人生にも、いくばくかの

 

彩りを添えてくれる。よしんば、それがテレビでの告白であって幻に終ったとしてもだ。「恋の思い出は、

 

心の宝物」という言葉もある。

 

 

 ところで〈愛の讃歌〉はのど自慢で歌って以来、友人や甥ッ子姪ッ子ども、親類縁者の結婚式でなんども

 

歌う機会があった。今度はいつの日か、娘が嫁ぐ日にでも歌ってあげようかな、と思ったりする今日この

 

ごろである。(完)

 

  
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