1

またこのごろや しのばれん/児玉 和子

 

 その夜は満月だった。

 

 いつもは暗い夜道が、月あかりに白くうかびでていた。

 

 私はひさしぶりの母の来訪がまちきれず、十五分ばかりあるいて駅にでむかえることにした。二歳の娘

 

の手をひき住宅街のしずかな道にさしかかると、娘がとつぜん、「お月さまが美和子についてくる」といっ

 

た。

 

 立ちどまって空をあおぐと、ちかくの家の塀のなかから、葉を落としたケヤキの大木が冬の夜空にのび、

 

その枝に満月がひっかかっていた。

 

 「お月さまはいい子についてくるのよ。ほら、美和子がとまったらお月さまもとまったでしょ」私は天文学

 

者が首をかしげそうなことをいった。

 

 「うん」娘はときどき月をあおぎ、満足そうに手をひかれてあるいた。そのとき車がはいってきた。私は道

 

のはしによって車をやりすごした。

 

 「あ、お月さまもとまった」。私の言葉を信じて、娘はうれしそうにいった。あわいはずかしさが、私の心を

 

よぎった。その気持ちをいまになって分析すると、幼女らしい疑問がほほえましく、それにかわいさがかさ

 

なってあんなことを言ったが、信じてうたがわない娘のすなおさに、じくじたるものがあったのではないだ

 

ろうか。

2

 

 話が横道にそれるが、もうひとつ天文学者をなげかせるおもいでばなしがある。

 

 私の姉は、幼い息子に三日月さまの絵をかいてやり、月のくぼみに星をえがき、

 

 「お月さまが赤ちゃんをダッコしているのよ」といったそうだ。

 

 「あれも逆説的教育かもしれませんね。反面教師とはちがうが…」天文学に一家言のある甥は、あたた

 

かいまなざしで亡き母を評した。

 

 それはさておき、だまってあるいていた娘はまた質問した。

 

 「ママにもお月さまついてくるの?」イエスかノーか答えねばならない。いい子のつもりの娘にふさわしい

 

母であろうとすれば、その母もいい子であらねばならない。私はながれのままに「ママにもちゃんとついて

 

くるわよ」と答えた。

 

 ―この娘は長じて天文に興味をもち、いまやその道の…、とはならなかったが、平凡な妻となり、母にお

 

さまり、子そだての八分目をおえた。このごろは金管楽器のチューバをもてあそび、あやしげな音をだして

 

はよろこんでいる。

 

 さて、このところ、ふとすぎさった歳月にうもれたおもいでが、光をはなっているのにきづく。

 

 あの日、月がさしのべてくれた光につつまれながら小さくやわらかい娘の手をひき、母にあえるたのしみ

 

を胸にだいて、はずんだ気分で娘とあるいたメルヘンの世界は、あの時期にしかあじわえない光のなか

 

にいたのだと…。

 

 まだ若かった私は、それを外側から見ることができなかった。

 

 時間のフィルターをとおしてはじめて、あのころは子そだてという生きがいの、まぶしいほどの光のただ

 

なかにいたのだとしみじみ思う。

3

 

私はいま、白くひかる夜道で娘とすごしたあの時間を、一枚の絵としてなつかしく心にふりかえっている。

 

そしていつの日かまた、藤原清輔朝臣の、「ながらえば またこのごろやしのばれん うしとみし世ぞ い

 

まは恋しき」の和歌そのままに、いまの私をあの白い光のなかに置くだろう。(完)

  
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