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くじ運/結城 桂

 

 私はくじ運の悪い女だと思っている。

 

 所属しているエッセイの会「樫の木会」は、毎月クラスの部屋を中野区の労働福祉会館で借りなければ

 

ならないが、日時と部屋が希望どおりに借りられるかどうかは、抽選の結果次第となる。この抽選には、

 

その月の当番となったメンバーが出かける。だから当番になると、私はいつも〈クラスで予定している日時

 

が取れなかったら…〉と不安になる。自分のくじ運の悪さを思って当日までハラハラドキドキ、気が休まら

 

ない。しかしありがたいことに、このところ「くじの神様」はご機嫌がよいのか、クラスの部屋割りにかぎっ

 

ては私に微笑み続けてくださっている。

 

 〈いやひょっとすると、神様は私にではなく、樫の木会に微笑んでくださっているのかも…〉と思うのも、

 

〈ひょっとしたら…〉と思いつつ買った年末ジャンボの宝くじも、東京都の宝くじもすべてカラブリだったから

 

だ。ちなみにつけ加えれば、くじ運の悪さは勝負事にまで伝染したようで、隣家の五才の女の子とジャン

 

ケンポンをしてみたらたてつづけに七回も負けてしまった。

 

 ところが、そんな私に一度だけ神様が大きく微笑んだことがある。いまは昔のことで、私が小学校にあ

 

がる前だった。私の実家のある町は、繊維工場の町だった。一九四一年から四年間続いたアメリカとの

 

大戦争が日本の敗北で終わり、戦後の日本はまったく「モノのない時代」になった。だから繊維の需要は

 

大きく、工場はフル稼働。おかげで私の町は「ガチャ万景気」とか「糸偏(へん)景気」とかいわれるほど

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活気があった。「ガチャ万」というのは、織物の機械が一回ガチャリと回ると一万円になる、という意味で

 

ある。職工の給料が千円二千円の時代だから、いきおい商店街もガチャ万景気でうるおい、盆暮れの大

 

売りだしにも力が入った。とうじの日本では、盆暮れのセールに買物をすると、かならず福引券をくれた。

 

母は福引券がたまると、実家に住み込んでいたお手伝いさんにすべてあげていた。二十歳(はたち)そこ

 

そこのお手伝いさんはそれをたいへん楽しみにしていて、福引券をもらうと嬉々(きき)として福引所に

 

でかけた。だが、たいていは残念賞の鉛筆か、うまくいっても亀の子タワシくらいしか引き当てられなかっ

 

た。いまならティッシュペーパーといったとこだろう。

 

 ある年の暮、糸へん景気に沸く街の福引所に、特別賞として「嫁入り道具一式」が陳列された。提供し

 

たのは町一番の家具店だった。これが大評判となり、われもわれもと福引所に押しかけガラガラをまわし

 

た。しかしながら、特賞の黄色い玉はなかなか出てこなかった。それがさらに熱気をあおった。

 

 そんなある日、母はお手伝いさんに三十枚の福引券を与えた。お手伝いさんは、張り切って出かけるこ

 

ととなった。五歳だった私もお手伝いさんについていった。なぜついていったのかは、いまだに思い出せ

 

ない。記憶にあるのは、その日が曇り空で、ひどく冷えこんでいたことくらいである。お手伝いさんは途中

 

にある八幡さまの社(やしろ)に立ち寄り、鈴をならしたり拍手(かしわで)をうったりして熱心におがんだ。

 

私はそんなお手伝いさんの側で、ボンヤリ餌をひろうハトの姿を眺めていた。

 

 福引所は黒山の人だかりだった。特別賞を引きあてようとする人々の熱気で沸きかえり、抽選所にたど

 

り着くだけでも大変だった。やがてお手伝いさんの番になった。彼女は顔を真っ赤に上気させ、ガラガラを

 

回した。赤い玉が次から次へと飛び出してくる。つまり「鉛筆ばっかり」といったありさまだ。受け皿の半分

 

近くが赤玉で埋まってしまった。さすがにうんざりしたのか、彼女は私に「お嬢さま、あと二回のこっていま

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す。かわりにまわしてください」といった。私は一度もガラガラを

 

まわしたことがなかったので、好奇心にかり立てられてハンドル

 

をつかんだ。しかしそれはとても重く、子供の私はお手伝いさん

 

に助けてもらわざるをえなかった。ガラガラがようやく一回転し

 

た。赤い玉が一ツ、ポツリと受け皿に落ちた。〈面白い!〉と私は

 

思った。しかしお手伝いさんは、気落ちしたようだ。彼女の手が

 

ハンドルから離れた。そこで私はハンドルを両手で握り、全身の

 

力をこめてガラガラをまわした。薄汚れた黄色い玉が飛び出し

 

てきた。〈変な色だな…〉と受け皿に落ちた玉を見ていたら、

 

よそ見をしていたらしい係りのお兄さんが突然大声で「ウワッ、出たッ! 出たぞ、出たッ、特賞だァ、大当

 

たりだあッ、大当たりィ!」両手に持った鐘が盛大に打ち鳴らされた。周囲が一瞬シンとなった。

 

 次いで「だれだ?」「だれが当てたんだ?」と言う声が聞こえ、次いでワッと言う喚声になった。福引所は

 

たちまち灰神楽が舞い上がるような騒ぎになった。

 

 「エッ、このチビ助がひきあてたのか?」「こいつ、男か女か?」「男の子になんで嫁入り道具なのだ!」

 

雑多な声が、私の耳に飛びこんできた。私はなにがわが身に起こったのか分らず、ポカンとしていた。

 

側にいたはずのお手伝いさんの姿は忽然(こつぜん)と消えていた。しかし私はあわててなんかいなかっ

 

た。〈お手伝いのオネエチャン、いなくなっちゃったけど、一人でうちに帰れるなんてすてき。私、帰り道だっ

 

てちゃんと知っているんだから〉。家までの道のりを考えている私は、小さな冒険にチャレンジするような

 

気分になってウキウキしていた。そのころの私には、どこに行くにもいつもつき添いが一緒だったのだ。

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 「お嬢ちゃん」と声がかかった。声が降ってきた方角を

 

見上げると、福々しい顔の男性が、満面のあいそ笑い

 

を私にむけていた。祖母がいつも巻紙や奉書を買う、

 

紙屋のご主人だった。私はその店で祖母から折り紙や

 

千代紙を買ってもらっていたから、ご主人とは顔見知り

 

だった。「おめでとうございます。親孝行ですなあ。

 

オヤ、お手伝いさんはどうしました?先ほどまでいた

 

のに…マッ、いいか。さあ、お道具をご覧に入れます。

 

こちらにどうぞ」。「私ンじゃないのよ」という弁明もあら

 

ばこそ、私は景品の並ぶ壇上に引き上げられた。ご主

 

人はぐいぐい手を引っぱって、私を奥に飾られている

 

箪笥や鏡台、茶箪笥の前に連れていった。いまの私

 

なら「拉致(らち)された」と言いたい。

 

 ところでお手伝いさんだが、私が特賞を引きあてたの

 

で頭に血がのぼってしまい、舞い上がったらしい。風を巻く勢いで家まで走って帰ると、青い顔で息をは

 

ずませながら、「た、た、大変でございます。お嬢さまが…」とさけんだ。両親は飛び上がり「スワ、大切な

 

娘が人さらいにさらわれたか、それとも大怪我でもしたのか」それがよくよく聞くと、私が特賞を出したと

 

いうことだったので、ホッと胸をなでおろしたそうである。

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 後日私が聞いた話では、祖母がお手伝いさんと共に福引所にもどってみたら、私がシタリ顔で紙屋の

 

主人と家具店の主人を引き連れ、箪笥の裏の仕上げなどを調べたりしてたそうで、「あのときのあんた

 

は、本当にコマッシャクレていておかしかった」と、祖母は後々の日まで語った。

 

 お手伝いさんは、それからほどなく特賞の嫁入り道具一式をもってお嫁にいった。我が家を去るとき

 

彼女は深々と母に頭を下げ、「お嬢さまのご恩は、一生忘れません」と言ったそうだ。いまにして思えば、

 

私のくじ運はどうやらあのとき使い切ったのだろう。(了)。

 

  
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