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山に入ったポチ/岡山 宅子

 

 私が生まれたのは大正十年(一九二一)。東京に未曾有の被害をもたらした関東大震災の二年前であ

 

る。実家は群馬県の伊香保で歴代の旧家だった。伊香保は榛名山の麓(ふもと)にある。だから実家の

 

地所もひろびろとしていて、つねに十頭前後の犬を飼っていた。幼いころの私はその犬たちを友として、

 

野山で遊びまわっていた。以下は、私がまだオカッパ頭の小学生だったころ、実家で飼われていた秋田

 

犬の思い出である。

 

 

 実家の屋敷には、門の左右に犬小屋があった。そこには、秋田犬のポチとイングリッシュ・ポインターの

 

エスが番犬として養われていた。ポチとエスは、共に五歳の牡(おす)犬だった。エスは洋犬特有の愛ら

 

しさと人なつっこさをもっていたが、秋田犬のポチは身体も大きく、性格も猛々(たけだけ)しいプライドの

 

高い犬で、家人以外には絶対慣れることのない感受性の強い犬でもあった。

 

 そのころは、現在のように飼い犬に対する制約がきびしくない時代だったから、犬たちも実にのびのびし

 

ていたように思う。実家では、ときどき運動のために犬を裏山に放していた。そんなときポチはいつも

 

先頭にたって、他の犬をひきつれて走った。ポチにはリーダーとしての風格が備わっていた。犬たちは、

 

あきらかにポチに一目置いていた。

 

 私には三歳違いの兄がいた。大変な犬好きで、犬たちを連れてよく裏山に登ったり、尾根を走ったりし

 

ていた。ポチはそんな兄に対しては、実に従順で忠実だった。兄が口笛を吹くと、どこにいてもすぐに駆け

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つけてくる。全身で服従の意をあらわし、立ち上がって大きな身体で兄に抱きついて甘え、大きな舌で兄

 

の顔を嘗(な)めまわす。それは、私達から見ても、あきれるほどのスキンシップぶりだった。

 

 ある年の秋のことだった。衆議院議員だった父は、樺太(からふと=サハリン)に視察に出かけることに

 

なった。兄は以前から樺太犬を欲しがっていたので、準備に忙しい父にまとわりついて、しきりに犬をねだ

 

った。数日後、旅先の父から電話がはいった。

 

 「いい樺太犬が手に入ったので送る」。

 

 つぎの日大工さんが入り、裏庭に頑丈な犬小屋を作り始めた。板を挽(ひ)く鋸(のこぎり)の音や釘を

 

うちつける音がひびくと、屋敷の空気がなんとなくざわついた感じになった。微妙な変化がポチにあらわ

 

れた。元気に走り回っていたポチが、急に犬小屋から出てこなくなったのである。「ポチ、具合でも悪いの

 

か?」と、屋敷に出入りをする人たちがいぶかって、犬小屋をのぞく回数が多くなった。

 

 二週間ほどたった。私が学校から帰ると、玄関の前に大きな鉄の檻(おり)が置かれていた。二頭の黒

 

い犬がうなり声をあげている。それが私がはじめて見た樺太犬だった。体高は六十センチほどだが、肩

 

幅が広く、がっしりとした体を密生した長い毛が覆っていた。

 

 オス、メス二頭の樺太犬はあたらしい環境になじめず、その夜は一晩中、野太い声で吠えつづけてい

 

た。野生そのものを感じさせる底ごもリした吠え声だった。幼かった私は布団の中で身を縮(ちじ)め、

 

犬小屋から聞こえてくる樺太犬の声におびえた。

 

 兄は樺太犬が手に入ったので、鼻高々だった。若さゆえの軽率

 

さもあったのだろうが、町の人がめずらしがって見にくると、新しい

 

犬小屋につれていってさかんに自慢した。あれほど愛していた犬た

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ちには、見向きもしなくなった。それでもポインターのエス

 

やほかの犬たちは元気に庭を走りまわっていたが、変わ

 

ったのはポチだった。虚(うつろ)な顔で犬小屋の前に座

 

り、塑像(そぞう)のようにうごかなくなった。

 

 さらに一週間が過ぎた。犬の世話をしていた女中さん

 

が夕方餌をやりにいったら、ポチの姿がなかった。夕闇

 

がせまる中、皆で手分けをしてポチをさがした。屋敷の

 

中はもちろんのこと、裏山も尾根まで上って名前を呼びつづけた。だがポチは見つからなかった。つぎの

 

日も、またそのつぎの日も、ポチはねぐらにもどってこなかった。

 

 「新しい犬ばかり大事にするからだ。ポチは〈もう自分は必要とされてない〉と感じて、姿を消したのだ。

 

かわいそうなことをした。責任はすべてお前にある」と、父は兄を叱った。この父の言葉は、兄にも応(こた

 

)えたようだ。

 

 「山に雪が降らないうちにさがしださなくては」と兄は連日のように山に入り、ときには出入りの人たちに

 

も手伝ってもらって捜索(そうさく)をつづけた。しかしポチの行方は、杳(よう)として分からず、消息は

 

一切つかめなかった。季節は秋から冬に代わろうとしていた。一ヶ月ほどして、奥山で炭を焼いている木

 

こりの老人が、父をたずねてきた。「お宅の探している犬らしいのが、水沢山の麓で野犬といっしょに暮ら

 

しとる」。

 

 水沢山は低い山だが滝は大小三つあり、水沢観音が祭られていた。山麓には里村があり、農林業を

 

営む農家が何軒か点在していた。つぎの日の朝、母は兄に男手を一人つけ、牛肉をひと塊もたせて水沢

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山に向かわせた。宗さんというその壮年の男性は水沢の出身で、かってポチを始めとした犬たちの世話

 

をしたことがあった。「必ずポチをつれて帰るように」と、母は兄にきびしい口調で命じた。しかし、その夜

 

二人は疲れきった顔で帰ってきた。足どりが重かった。

 

 「で、どうだったんだ」という父の問いかけに、兄は答えた。

 

 「ポチは水沢山の観音滝の近くにいた。七頭の野犬が一緒だっ

 

た。名前を呼ぶと尻尾を千切れんばかりにふって走り寄ってきた

 

が、十メートルばかりのところでピタリと足を止め、そこからはどう

 

呼んでも自分に近づこうとはしなかった。七頭の野犬もポチを囲

 

んで、自分達が近づこうとすると警告の唸り声を上げて脅(おど)

 

す。どうしょうもなかった。とりあえず、肉だけ置いて帰ってきた」

 

 三日ほど間を置いて、兄と宗さんはふたたび水沢山に出かけ

 

た。しかし、ポチを連れかえることはできなかった。前回と同じく、

 

餌の食べものを置いて帰ってきただけだった。

 

 〈ポチの心に自分に対する不信感が芽生えている〉という事実を突きつけられた兄は、犬好きであった

 

だけに激しいショックを受けたようだ。毎週日曜になると、水沢山に出かけた。そのうちにポチと七頭の

 

野犬は兄の姿を認めると、どこからともなく姿をあらわすようになった。ポチと野犬は一緒になって餌の

 

食いものを食べる。兄はそうしたポチに向かって、なんども呼びかけた。

 

 「ポチ、いっしょに帰ろうよ。皆ポチをまっているよ」。そう呼びかける兄の声は、いつしか呼びかけから

 

涙声の懇願(こんがん)になっていった。しかしポチは尻尾はふるものの、一定の距離は保って兄に相対

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(あいたい)し、距離がちぢまることはなかった。その距離は、兄とポチの間にできた深く暗い心の亀裂を

 

物語っていた。

 

 冬になって雪が降り始めた。父母は宗さんに頼んで水沢村の住人に挨拶をしてもらい、ポチの世話を

 

頼み、宗さんも定期的に山に入ってポチの様子をうかがった。

 

 

 春が来て山の雪が溶け始めたころ、宗さんがやってきた。「ポチはボスみたいになっています。群れは

 

他の野犬も混じって十頭になっていますが、ポチは体も一回り大きくなって、野犬たちもポチによく従って

 

ます」。たくましく生きるポチに、宗さんもうれしそうだった。

 

 「利口な犬だったから、どんな環境にでも慣れていくことができたんだろうな」と、父は感慨深げに言っ

 

た。兄は父の側でうなだれていた。母は「よろしくお願いします」と、宗さんに頭を下げた。

 

 ポチが野犬の群れをひきいて水沢山の尾根を駆ける姿は、多くの人によって目撃された。ポチはリー

 

ダーとして十頭の群れをよくまとめていた。野犬の群れが、飼い犬やニワトリ、ヤギや豚などを襲ったとい

 

う話はまったく聞かなかった。宗さんはあいかわらず月に二、三回は山に入り、群れに接触して餌の食糧

 

を置いていった。こうして五年の月日が過ぎた。

 

 六年目の春、水沢村から出てきた宗さんが、「ポチが元気ないです」と報告した。父はすぐに獣医の

 

先生に連絡して、宗さんと共に山に入ってもらった。

 

 「老衰ですな」と山から帰ってきた先生は、私たち家族に告げた。ポチはそろそろ十五歳になる。頑健な

 

体も衰え、脚(あし)も弱り、視力も落ちて歯もぬけていく。きびしい自然はさらに容赦なく、ポチの体力をう

 

ばっていったのだろう。

 

 桜の花が散り始めた五月初め、「ポチがどうも危ない」と宗さんが告げた。父は獣医の先生にふたたび

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たのんで、宗さんと山に入ってもらうことにした。兄にも同行を命じた。「自分でひき起こしたことの顛末

 

(てんまつ)がどのようになるか、自分の目で確かめてこい。これはお前の義務だ」と、父は強い口調で

 

言った。

 

 水沢山の中腹には、自然が穿(うが)った横穴がいくつかあった。そのひとつに、宗さんは以前、桟俵

 

(さんたわら)を敷いておいた。ポチはその上にやせ衰えて横たわっていた。吐く息が荒かった。初夏の朝

 

の光をうけているにもかかわらず、毛並みの色つやはくすんでいた。兄が「ポチ、ポチ」と呼ぶと、ポチは

 

ちいさく尻尾をふり、視力の弱った眼で兄の姿をさがしもとめた。兄はポチにちかより、痩せたからだを

 

しっかと抱きしめた。獣医の先生は診察が終わると「今日いっぱい、もつかどうか…」と言った。

 

 「ぼくは、ポチを最後まで看取(みと)ります」と、兄は山

 

にのこった。「ぼっちゃんは、終日小声でポチに話しかけ

 

とられました」と、宋さんは後日私たちに話してくれた。

 

 

 夜の帳(とばり)がおりるころ、ポチは大好きだった兄の

 

腕の中でしずかに眼を閉じた。野犬たちも遠巻きになっ

 

て、ポチを見送った。そしてポチが横穴から運び出される

 

と、一頭また一頭と哀調をおびた遠吠えをあげはじめた。

 

野犬なりの葬送の儀式だった。

 

 「ぼっちゃんの腕の中で、ポチはまるで眠っているようにやすらかな顔をしてました」と宋さんが話したと

 

き、父は沈痛な面持ちになり、母と兄は涙ぐんだ。

 

 ポチの話は八〇年以上も昔のことである。それでも、いまなお私の胸中に痛みをともなってとどまってい

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るのは、おそらくポチと兄、人と犬との繋がりの深さが、ひいては人と人との絆(きずな)にも通じることであ

 

り、それが合わせ鏡となって、万古の昔から変わらぬ愛情のあり方について、多くのことを私に思わせる

 

からだろう。(了)。

  
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