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私の冬の庭/児玉 和子

 

 雨上がりのどんよりとした冬空に薄日がさしている。野鳥の飛来はこんな日の午前

 

中に集中する。メジロ、四十雀(しじゅうから)、うぐいす、ヒヨ、つぐみ、ジョウビタキ

 

などの冬鳥である。一年中見ることのできるスズメなどは、遠慮をしているのか見か

 

けない。 四十雀は、家族でにぎにぎしくやってくる。この春まで、庭の木の枝に私が

 

しつらえた巣箱を住家(すみか)としていたが、そこから八羽のヒナが巣立っていった。

 

あのヒナたちが家族をつれてやってきたと思いたい。数えてみたが、私の動体視力では目まぐるしく枝か

 

ら枝へと飛びかう四十雀をかぞえるのは無理だ。ヒヨがくると、四十雀はいっせいにとび去ってしまう。ヒヨ

 

がこなくても、四十雀はおたがいを確認しあうように小さく鳴きかわし、一、二分でさっとひきあげてしまう。

 

この賑やかな一瞬が私は嬉しい。

 

 ジョウビタキは、鳥たちがひきあげるのを待つようにして単身でやってくる。金茶色の羽に白い紋を二つ

 

付けている。俗に紋付鳥(もんつきどり)といわれるゆえんである。ジョウビタキは、紋付の正装にも似ず、

 

長い尾羽根を力なくさげて絶えず震わせながら、止まった枝の上でしばらくなにか考えて、やがてとび

 

去っていく。

 

 ジョウビタキを知ったのは三十数年前、夫の両親と同居を始めた年の師走だった。葉を落とした柿の木

 

に止まっている美しい鳥を指さして、姑(しゅうとめ)は「ジョウビタキは年末になると、紋付姿であいさつ

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回りをするのよ」と言った。

 

 昭和十年(一九三五)、夫の両親が東京の中野新橋の地に居をかまえた。そのころは、たびたび茶会を

 

催したそうだ。そのころは今ほど開けていなかったとはいえ、二十三区の中野の庭に飛来するジョウビタ

 

キの話題は茶室にまでもちこまれ、茶室は華やいだと姑は往時をしのんだ。戦争はそんな生活を姑から

 

奪った。戦火で家も茶室も灰になり、戦後は庭も半分売って狭くなった。それでもジョウビタキはわが家

 

の庭を忘れずに、毎年来てくれた。三十余年前、夫の両親と同居して六人の賑やかな生活になったが、

 

両親の死、子供たちの独立、夫の死と続いて、刻(とき)の流れはいつしか私をひとりにしてしまった。流

 

れる川のようにとどまることを知らない新旧交代の姿を、ジョウビタキもまた世代交代をくりかえしながら

 

見ていたのだろうか。

 

 独りにはなったが、この狭い庭に鳥たちがきてくれるかぎり、里山からジョウビタキが訪ねてきてくれる

 

かぎり、私は華やいで暮らせる。(了)。

  
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