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劇場型手術/犬塚 幸士

 

 日々是好日(ひび、これ、こうじつ)で、怠惰で退屈な隠居暮らしをしていると、不安や多少の苦痛も楽し

 

みや好奇心の対象に変わることがあるらしい。

 

 私の「腹部大動脈瘤」の発見には、かなりの緊張とスリルがあった。一年前のある日、左下腹部の肋骨

 

と臍(へそ)と腰骨の中間あたりに異常にはげしい拍動が感じられ、右を下にして横になり、付近を掌(て

 

のひら)でかるく押さえると、ピンポン玉かニワトリの卵ほどの大きさがあるコブがはっきり感じられた。

 

最初は、癌(がん)か腫瘍(しゅよう)かもしれないと思ったが、かかりつけの呼吸器内科の医師がCT撮影

 

をしてくれ、「私は素人だがこれは大動脈瘤にまちがいない」と断定した。

 

 痛くもかゆくもないのに、夢想だにしなかった腹部大動脈瘤(ふくぶ、だいどうみゃくりゅう)という、あまり

 

なじみのない診断をうけたのには驚いたが、人は新しい見聞をしたり、いまだ体験したことのない事態に

 

直面すると、感動したり戸惑ったりする。同時に非日常のことだから、「どうして?」「なぜ?」「どうすれば

 

いい?」などとも考える。私自身、貧弱な脳がにわかに活性化して、身の危険そっちのけで、「これは面白

 

いことになったぞ」と、野次馬根性が頭をもたげてきたのだから不思議なものである。たぶん、「自分はす

 

でに死亡適齢期に入っており、余命いくばくもない年齢になっているから、怖れるものはなにもない」。そう

 

自覚しているからだと思う。それといまひとつつけ加えれば、腹部大動脈瘤という珍しい病状だったから、

 

がぜん知的好奇心が刺激された。これが消化器や呼吸器の癌、心臓の疾患(しっかん)、脳血管の異常

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など、成人病として知られた病気なら、おそらくさほど興奮することもなかっただろう。腹部大動脈瘤破裂

 

(ふくぶ、だいどうみゃくりゅう、はれつ)で亡くなった著名人を調べてみると司馬遼太郎、淀川長治がい

 

る。八月二十日の新聞は、来日中のソプラノ歌手ヒルデガルト・レーベンス(七十二歳)が都内の病院で

 

この病気のために死去、と伝えていた。

 

 破裂すると一時間以内に開腹手術を行わなければたすからない。それでも命をとりとめる確率は五十

 

%、といわれている。血圧を下げるという消極的な手段以外に治療法のない病気であり、痛くもかゆくも

 

ないために、破裂するまで発見されない場合も多いそうだから、発見できたのは不幸中のさいわいだっ

 

た。後日さらなるCTの画像によって、直径二センチの私の老化した大動脈に、三センチ半から五センチ

 

半にふくらんだコブが、イモヅルのように三ツつながっているのを知った。

 

 腹部大動脈瘤(ふくぶ、だいどうみゃくりゅう)はサイレント・キラー、つまり静かな殺人者と呼ばれるそう

 

だが、腹に爆薬を巻いて、ジハード(聖戦)におもむくアラブの戦士のように、いつ破裂するかも知れない

 

三つのコブを腹にかかえた生活は、いやがおうでも緊張に満ちた日々であった。この一年、医師の説明

 

はもちろんのこと、百科事典、わが家には、家庭の医学、新聞、テレビ、インターネットと、あらゆる情報を

 

蒐集して悦(えつ)に入っている自分がいた。

 

 コブ発生の原因は、老化、長年の喫煙の悪習があげられる。しかし結局は、老化による動脈硬化が

 

直接の原因らしい。

 

 治療としては、効果はともかく、血圧をさげるという消極的な方法しかなく、それとてコブの成長を遅れさ

 

せるだけのことであり、結局、外科手術以外に方法はない。

 

 平成二十一年七月三十日午前八時、ついに手術のときがやってきた。腕、腹、背中をマジック・テープ

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でつなぎ合わせた奇妙な寝間着のような手術衣に着替えさせられ、ストレッチャーに横たえられて、手術

 

室に運ばれた。

 

 「自分で歩けるよ」とは言ってはみたものの、考えてみれば布切れをテープで貼り合わせたような手術

 

衣では、病棟の廊下を歩けたものではない。手術室は明るく、清潔感に満ちていた。ストレッチャーから

 

手術台にうつされたが、手術を前にした緊張感からなのか、恐怖心からなのか、とにかく寒い。そのこと

 

を告げると、「今すぐ温かくしてあげますよ」と言ってナースがもってきたのは、ポリ製の奇妙な形をした

 

湯タンポだった。

 

 麻酔医が、「いまから硬膜外麻酔(局部麻酔)を行います。手術の途中で痛みを感じたら、声をかけてく

 

ださい。すぐに麻酔薬を追加注入します。したがってカテーテル(注入口)はのこしておきます。麻酔が効く

 

と排尿ができませんから尿道チューブをセットします。咳をしたり、くしゃみをすると施術に影響しますから

 

合図をして下さい。私はあなたの右肩のところにいます」。そして主治医の大木教授が、「午前八時三十

 

分、ただいまより手術を始めます。本日の主任執刀医は石田君。私は患者の右前にいます」と宣言した。

 

これらの言葉は、すべて録音される。

 

 見馴れた血管外科の五人の医師たちが、ベッドを囲んだ。この数ヶ月、彼らとは病状についてカンカン

 

ガクガク意見を言い合ってきたが、いまはいつもの賑やかさはない。全員無言で、張りつめた緊張がひし

 

ひし伝わってくる。局部麻酔だから下半身の感覚はないが、両手、頭、目、耳、口のすべては自由である。

 

ときどき「メス」「カテーテル」と小声で指示がされる。すべての作業が、静かに進められていく。両脚そけ

 

い部の動脈を切って、そこからカテーテルを挿入、それに差し入れられたステント・グラフト(人口血管)を、

 

決められた大動脈の位置に置いてくるだけの作業である。

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 横に置かれた大型のモニターで、私は淡々と進められ

 

る作業を見ることができる。だが一人の医師の片腕が

 

邪魔で、私には全部は見えない。これでは手持ちぶさた

 

で退屈である。

 

 たまりかねて、「すみませんが、モ二ターをもう五センチ

 

ずらせていただけませんか?」と場違いの声で発言する。

 

医師たちの遠慮がちな笑いは、たちまち爆笑にかわった。

 

しかしおかげでモニターの位置は変わり、作業の進行が

 

私にも見えるようになった。

 

 午前九時三十分、あっけなく手術は完了し、その場で

 

結果の説明があった。出血量二百五十CC。「あなたは

 

資料をほしがるから」と、医師の一人が手術前後の動脈

 

の写真をもってきてくれた。正午には、麻酔も醒め、導尿チューブもはずし、自由の身となった。

 

 ビデオ・カメラを持ち込まなかったのが悔(く)やまれてならない。若い医師に「カメラをもちこんだら、許可

 

してくれましたか?」とたずねると、「いまだかって聞いたことのないご質問なので、大木先生がなんと言

 

われるか、私にはわかりません」という返事であった。

 

 翌日退院できたと思うのだが、大木教授は大事をとったのか、私に二日間の入院を命じた。おかげで

 

二日間、病院のまずい食事に悩まされることとなった。

 

 あの手術は、まさに劇場型手術であった。出演者はたくさんいたが主役はもちろん私で、同時に私は

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観客のひとりだったことは間違いない。(完)。

  
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