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樫の木会には、指導する作家谷克二がテーマを決め、それに添って文章を書くという修練もあります。

 

今回は、「闇の向こうに」というテーマが与えられました。その中から2篇を掲載いたします。

暗闇と文化/犬塚 幸士

 

 江戸時代の江戸は百万都市といわれ、世界でも有数の大都市であった。ところが、日が沈むと新吉原

 

などの歓楽街をのぞけば提灯(ちょうちん)なしでは歩けず、月のない夜ともなれば手さぐり足さぐりで

 

歩を進める状態だったらしい。江戸昔話の本所七不思議に登場する「おいてけ堀」などは、こうした黒々

 

と闇に塗りつぶされた暗い江戸の町並みをしのばせる。大名や旗本の屋敷は陽が落ちるとかたく門を

 

閉ざし、かくして闇は魑魅魍魎(ちみもうりょう)の跋扈(ばっこ)する世界となった。

 

 江戸でさえこのようなありさまだったから、地方の藩の城下町、ましてや農村などの闇の深さは想像に

 

かたくない。しかしながら江戸も中期以降になると、蝋燭(ろうそく)や菜種油(なたねあぶら)がひろく普及

 

して、庶民の家でも夜になると灯りがともるようになった。人々の活動の量も増え、食事も朝、昼、夜の

 

三回となる。ちなみに、わが国で初めて街路灯がお目見えしたのは明治五年、横浜馬車道のガス灯を

 

もって嚆矢(こうし)とする。

 

 

  日本の政府は明治以来、インフラの整備に努めてきた。とくに「戦後」といわれる一九四五年以降は

 

道路が次々に整えられ、街灯もつき、町や村には煌々(こうこう)と光が満ちていった。最近では山奥でも、

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真の闇を体験することはない。日本国内「文化果つるところ」はなくなったということだろう。どんな深い山

 

であれ、稜線を歩けば町の灯が望見できる。ところがそんな中で、ただ一ヶ所、中央線初狩と笹子の

 

中間、中央線の北側の滝子山、標高一五九〇メートルの藤沢川の源流、沢ぞい一キロの道は、夜になる

 

と漆黒の「真の闇」で覆いつくされる。

 

 私は数年前、この沢ぞいの道をくだったことがある。沢の流れはゆるやかで、おまけに水量が少ないか

 

ら、せせらぎの音ひとつしない。右へ左へと沢を渡りながら沢ぞいに降りていくのだが、鬱蒼(うっそう)と

 

茂る巨木は光も音も、私の足音さえも吸収してしまう。〈鼻をつままれても分らない〉とは、こうした闇のこ

 

とを言うのだろうと思いながら、六十余年続けてきた山歩きで初めてヘッドライトとハンドライトを併用し

 

た。この闇を突き抜けてから分ったことなのだが、その夜は満月で、しかも「金星が月に異常に接近する

 

天文学上でもめずらしい日」とのことだった。だから沢ぞいの道をぬけ出したら、夜空は清浄(せいじょう)

 

といえるほど澄んでいて、月も星も強い光をはなっていた。

 

 初雁の駅に向かって藤沢の集落をぬけるとき、小さな公民館から村人たちがゾロゾロ出てきた。集会が

 

あったらしい。その人たちから、「遭難されたのですか?」と口々にたずねられたのには閉口した。〈あの

 

暗闇こそは、私の生涯で最高の暗闇になるのではなかろうか〉。いまではそのように思っている。(了)。

 

 

(注)滝子山。

 

東京都庁や池袋にあるサンシャインビルの展望台から西を眺めると、関東平野と甲府盆地の分水嶺をなす大菩薩連嶺が

 

望見される。その連嶺を南にたどるといちど稜線が低くなり、最後にいまいちど高度を上げてピラミッドのような美しい姿を

 

みせている。それが滝子山である。さらに南にたどると稜線は見えなくなるが、そこが笹子峠にあたる。

 

筆者の犬塚氏は日本山岳会のメンバーで、登山歴六十有余年のベテラン登山家です。

  
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