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八雲旧居/片山 充代

 

 若い頃勤めていた会社の同期会を、今年は出雲松江への一泊旅行にしようと計画がたてられた。出か

 

けたのは十月下旬、この時期は全国の神々が出雲に集まり、ほかの地方には神様は一人もいなくなるの

 

で神無月(かみなずき)だが、出雲では神有月(かみありずき)というそうだ。「御利益(ごりやく)が多い

 

ぞ。縁結びをしっかり願いなさい」と、主人を亡くしている私はからかわれた。

 

 この出雲地方を、私は昭和三十五(一九六〇)年に団体旅行で訪れている。そのときの旅は、秋吉台

 

から日本海側に出て、長門湯本、出雲そして鳥取砂丘へと向かうコースだった。旅の途中で、同行者が

 

「少し時間に余裕があるから、松江で列車を下りよう。小泉八雲の旧居があるから」と言いだした。

 

 記憶のページをめくってみると、駅を出て橋を渡ったような気がする。橋の真中あたりで、この町の空気

 

がなんともいえず快く感じられたのもおぼえている。初秋の陽の光とさわやかな風の中を歩いていて、い

 

つの間にか嬉しくなって、一人で笑っていたのも記憶の淵からよみがえってきた。確か、松江城の濠に沿

 

った道を歩いていたのは私達二人だけだった。右側は塀に囲まれた武家屋敷が並び、古びた板塀の色

 

と白い壁のモノトーンのたたずまいは端正であり、静かで、なんともいえず美しかった。濠の水は明るい

 

翡翠色にトロリとよどんでいた。記憶のページを、さらに繰ってみた。思い出が次々によみがえってくる。

 

八雲の旧居は、確か道沿いに続く武家屋敷の並びにあったはずだ。門をくぐると一層静けさがつのり、

 

玄関脇に高浜虚子の句を刻んだ背のひくい石碑が置かれていたのを思い出した。

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 「くわれもす 八雲居址の 秋の蚊に」

 

 屋敷に入って最初に私の目についたのは、幅四十センチ長さ二メートルくらいの濡れ縁だった。古びて

 

灰色になった厚い板の端は朽ち、虫喰いのあとや欠けが丸みを帯びてピカピカに光っていた。

 

 〈まるでウレタン塗料を塗りこんだよう…〉と感じたものだが、当時はそのような塗料はなかったから、多

 

分人の手で磨きこまれていたのだろう。雨風にさらされたまま、濡れ縁がこのように磨きこまれていること

 

に強く心をうたれた。

 

 寓居は、南北に続いた二間(ふたま)の私室が公開されていた。その部屋のあまりの静けさに、私は軽

 

いめまいをおぼえた。八雲の家に来る途中、武家屋敷を見て気づかされた日本家屋の美しさを、ここでも

 

強く感じたからだ。〈私はやはり日本人なんだ…〉。そのころ多少洋物にかぶれていた私は、いつの間に

 

か凛(りん)として簡素な日本の美に包まれていくのを感じた。

 

 思い出の中から、小柄な老婦人が浮かびあがってきた。あのとき部屋の説明をしてくれた方だ。北側の

 

庭が老婦人の背景になっていて、そこにはピンク色の小さな花が丈低く、一面に咲いている。初めて見る

 

花だったので、「これはなんという花ですか」と老婦人にたずねた。

 

 「シュウカイドウです。八雲さんはこの花がお好き

 

でした。ここに坐ってよく眺めておいででした」。

 

そのように、老婦人は答えたと思う。秋海棠という

 

名前は知っていたので〈あぁ、これが…〉と、可憐

 

だが陽気にも見える鮮やかなピンク色の花の絨毯

 

(じゅうたん)に見とれた。

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 部屋の壁には、八雲の横顔の写真と直筆のメモが、額に入って掛かっていた。

 

「つめたさに ぞっとはすれど 雪女」と、書かれている。物語の「雪女」には、この言葉があるのだろうか。

 

床の間の前に正座して、私は長い時間を過ごした。この家に魅せられてしまい、この部屋のすべてを五

 

体で感じたかったからだった。

 

 八雲ゆかりの品々を版画に表した絵葉書、和紙で作られた便箋や封筒が売られていた。たくさん買った

 

が、いまでは便箋も封筒も使ってしまった。版画の絵葉書は、まだ数枚手もとに残っている。厚手の和紙

 

に赤や黒、緑などのはっきりとした色合いで、八雲愛用の品などが刷られている。いまの絵葉書よりかた

 

ちはちいさい。

 

 

 松江の町の印象、八雲旧居のことは、五十年余り鮮やかな心象風景として私の心の中にとどまった。

 

たった三時間程の滞在だったけれど、後に旅したどの旅先のことよりも強く心に焼きついた。その松江を、

 

今回の旅では再訪できるのだから嬉しかった。貸し切りのマイクロバスでまわる旅だった。だから出雲大

 

社、神魂(かもす)神社を経て松江市に入ると、いきなり八雲記念館の前に着いた。皆は記念館だけ見て、

 

旧居には入らないという。「私は旧居に来たかったのだから入ります。集合場所には必ず遅れないように

 

行きますから」。そう幹事に告げて、私は一人で八雲の旧居に向かった。

 

 虚子の句がきざまれた石碑は、かって見た場所にそのままあった。

 

 「くわれもす 八雲旧居の 秋の蚊に」

 

 昭和七年に訪れた虚子がのこしていった句の記憶違いに、まず気づいた。いまでは説明文がついてい

 

る。私の心にのこっている磨きこまれた濡れ縁はなくなっていた。細い板を並べて作り直されたそれは、

 

かなり古びていたが、虫喰いも欠けもなかった。

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 上がり框(かまち)に続く小部屋にテーブルがあり、受付の中年の女性がにこやかに迎えてくれた。三百

 

円の入場料を払う。公開されている部屋は、三部屋になっていた。北側の座敷に隣り合う東の部屋が、

 

加えられている。住居のたたずまいは、なにも変わっていないように見える。だが入場者が多く、五十年

 

前訪れた時のように座敷に坐るなどということはできない。南、西、北と三方の庭が臨(のぞ)めるように

 

窓が開け放たれていた。私は北側の庭しか覚えていないが、現在のその庭には小さな池があり、庭石が

 

いくつか配置され、秋海棠は見当たらない。西側の庭には紅葉の木が見られ、南の庭の百日紅(さるす

 

べり)には秋の名残りの花が少々ついている。部屋に掛けられた額(がく)の中身はそのままだった。メモ

 

に薄く残っている文字に目をこらすと「SAMUKESA NI ZOTTO WA SUREDO YUKIONNA…

 

雪折れのなき柳腰かな」とローマ字が続く。英訳が左側にある。私はその読める部分を、手帳に書き写し

 

た。八雲の横顔の写真は変わっていない。右向きなのは、失明した左目を写されたくなかったのだろうか

 

…。

 

 五十年近くたつ間に、私の記憶の中で「寒けさに」は「冷たさに」に、「旧居」は「旧址」にかわってしまっ

 

ていた。〈八雲の写真だけは、そのまま…〉などと思いを巡らせていたら、見学者が少なくなった。私は

 

受付の女性に話しかけた。

 

 「私、五十年ばかり前にこちらに来たことがあるんです。そのときおばあさまが一人いらっしゃって、いろ

 

いろお話をして下さいました」

 

 「そうでしたか。それはまあまあ、ようこそ。その方は、きっとここの家主の根岸家のどなたかだったので

 

しょう。その頃より一部屋多く公開されていますでしょう。セツ夫人のお部屋だったものです。他は変わっ

 

ておりませんでしょう?」

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 「北側のお庭は秋海棠でいっぱいでした。こんなお庭とは思いもしませんでした」

 

 「そうでしたか、これはその名残りでしょうかしら」。庭沿いの縁側近くに、五、六本の枯れかかった秋海

 

棠があった。「おなつかしいでしょう。ごゆっくり御覧になってくださいね」

 

 受付では、以前と同じ絵葉書が売られていた。八雲の

 

著書「日本の面影」の文庫本と共に求めた。〈ここに再

 

び来られてよかった…〉その思いが、ひたひたと胸中に

 

満ちていく。記憶に残る濠の翡翠色の水は、いまは白っ

 

ぽく濁っていた。観光客が多く、道路も広くなっているよ

 

うに思うし、案内板もあちこちに見られた。数ある武家

 

屋敷の中には、塀はかっての姿を保っているものの、

 

建物は現代の家屋に変わっているものもあった。これも刻(とき)の流れで、仕方のないことなのだろう

 

か。八雲が松江に住んだのは僅か一年四ヶ月。あの旧居には明治二十四年五月から同年十一月までの

 

わずか半年しか住んでいない。その後はセツ夫人と共に、教師として熊本に赴任している。たった半年を

 

過ごした住居が百年余の時空をこえて、ありし日の姿そのままで大切に保存され、私達を迎えてくれる。

 

松江以外の赴任先には、どこにも小泉八雲に関わるものは残っていないそうだ。八雲は松江の地と人々

 

讚をこよなく愛し、美し続けた。そんな八雲を、明治の松江の人達もこよなく愛したのだろう。松江時代の

 

八雲の年譜には、一月に風邪をひいて寝こんだことまで記されている。

 

 私自身、八雲をどのようにして知ったのか思い出せない。「怪談」を子供向けの本で読んだのだろうか

 

…。記憶がない。でも本名であるラフカディオ・ヘルンという名前は、幼いときから知っていたから、物語

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の中に恐ろしいけれど、美しさ、哀れさがあるのも感じて、好きだったのかも知れない。これから八雲の

 

著書を読んでみよう。

 五十年前、初めて松江を訪れた日の夜、私は鳥取の旅館から東京の友人に手紙を出している。旅館

 

の温泉プールではしゃぎすぎて身体はくたくただったのに、布団の中で腹這いになって書いたのを覚えて

 

いる。十数年前、友人は私に手紙を返してよこした。

 

 「あなたの手紙が出てきた。読み直してみたけど、これはあなたがもっていたほうがいいみたい」。そう

 

言いながらさしだされた手紙を、私はなにげなく受け取った。読み返してみると、当時二十五歳の私は、

 

婚期の限界にあってなにかと悩み多い時期であったはずなのに、なんともほがらかに出雲の旅を語って

 

いる。八雲の旧居では、老婦人に「おばあさん」と呼びかけたりしている。

 

 ここまでこのエッセイを書いてふと思いたち、ふたたび手紙を居間の机の引き出しから取り出して読ん

 

でみた。

 

 「鳥取よりすこし西の浜村温泉に参りました。

 

『たばこや』という宿で、何だかひさしぶりにゆっ

 

くり時間がもてたので、落ち着いて水茎(みずぐ

 

き)のあとうるわしい? お便りをさしあげます。

 

この宿は温泉の量が豊かで幅三メートル、長さ

 

十二、三メートルの温泉プールがあります。季節

 

はずれの水泳に大はしゃぎに泳ぎまわっていたら、のぼせてしまって胸が変になり、大あわてで風呂から

 

あがって風にあたっていました。

 

 今日は松江に三時間程滞在しました。葉書にも書いたとおり、松江はほんとうにいいところです(私は

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松江から鳥取へ向かう車中で葉書を書いて出したらしい)。日本の町はこんなにいいものだったかと、

 

しみじみと日本人であることを味わいました。島根県庁のすぐ横に、松江城があります。松をはじめ、たく

 

さんの雑木に囲まれた城跡。天守閣も残っています。まわりにはお濠があり、白鳥がゆうゆうと泳いでい

 

ました。お濠に沿って一周したら、半時間位かかるかしら。お濠では、のんきな太公望達が、木陰で釣糸

 

をたれています。お濠の水は重たいような緑色で、樹がとても多いせいか、あたりの空気がまろやかに

 

澄(す)んでいて、お天気のせいもあるでしょうけれど、もうほんとうに生きているのがうれしくなりました。

 

あたりの家並は戦災をまぬがれて、日本の古い家そのままの姿をのこし、よく手入れされていて…。東京

 

で毎日高いビルや堅苦しいアパートや、西洋風の趣向をこらした喫茶店ばかり見つけている目には、ど

 

んなになつかしく、心安らかに、やさしくうつったことか。

 

 お濠を半分位まわったあたりに、小泉八雲の旧居がありました。今は誰か普通の人が普通に住まって

 

いるようでした。そこの説明をしてくれるおばあさんの話によると、武家の家だったとのことで、八十年以

 

上も昔そのままの姿でみがきこまれて、ほんとうに古い姿そのまま磨きこまれて残っていました。十二、

 

三部屋あるようでしたが、二十円の観覧量を払って見せてもらえたのは、八雲の居間と書斎だけでした。

 

居間と書斎は隣り合っていて、北、西、南とそれぞれの庭に面しています。庭は三面合わせてもほんとう

 

に狭いものなのですが、木の種類が多く、南の庭に八雲が愛したさるすべり(百日紅)があり、きれいな

 

桃色の秋海棠も咲いていました。部屋に座っていると、八雲の住んでいたそのころが、ありありと想像さ

 

れます。いつまでも、いつまでもすわっていたいような、そんな気持をおこさせる部屋でした。

 

 おばあさんは七十位に見える人でしたが目も口もしっかりと、きれいな声で説明してくれました。とても

 

上品な人で『おばあさん、八雲さんをごぞんじですか』と歳から想像して聞いたら『いいえ、存じません。

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八雲の愛弟子だという人が、八十いくつかで、もう一人しかいないのじゃございませんか』とのことでした。

 

ここでは、今書いている便箋だとか、八雲ゆかりの絵葉書を売っています。この葉書がまた美しいもので

 

した。お金さえあれば、みんな買ってかえりたいくらい。でも、奮発(ふんぱつ)して五〇〇円ばかり買いま

 

した。『ほんとうにいい町ですね』とおばあさんに云ったら、『戦災をうけてませんしね。このあたりは武士の

 

家がそのまま残っておりますので。広い家だと千坪以上もあるんですよ』とのことでした。こんなところに

 

住んでいる人が羨ましく、私はここへお嫁入したくなりました。私が小さかったころ好きだった人は、この町

 

に住んでいたのだと思うとよけいなつかしく、思う存分深呼吸して町に別れをつげました。とにかく松江が

 

あまりよかったものだからついついだまってることが出来なくて、長々と…、ごめんなさい。この便箋一枚

 

づつ違っているでしょう。四枚合わせて、四君子(しくんし)になるのですって。松江には、わたしの好きな

 

ものがたくさんありましたが、お金がないので残念です。たんまりとためてもう一度やって来るつもりです。

 

さようなら。

 

 九月二十四日夜、浜村にて、允代」。

 

 

 読み終えた手紙を、私は机に置いた。深い海の底にいるような森閑とした気持ちに、私は包まれてい

 

た。過ぎ去って遠くなってしまった日々への懐かしさ、愛しさ、せつなさが、潮が満ちるように胸をみたして

 

いく。山梨県北杜市の郊外にある私の家の居間からは、窓をとおして南アルプスの山々が見える。山々

 

がいつの間にか晩秋の夕陽をうけて、暮れていく空に浮かんでいた。走馬燈のように浮かんでは消える

 

若き日の想い出に思いを漂わせながら、私はいつまでも残照にかがやく山並みをながめていた。(完)

  
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