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ジャスミンの花飾り/谷 克二

 

 ベトナム戦争がようやく終わろうとする一九七〇年代、私は取材で足繁くタイを訪れていた。反戦運動、

 

反政府運動で騒然とした雰囲気のバンコクの街角では、子供達がジャスミンの花飾りを売っていた。

 

山龍胆(りんどう)に似た白いジャスミンの花を糸でつづり合わせ、結び目には紫色のランの花が飾って

 

あった。子供達は交差点などにたむろしていて、自動車が信号待ちで止まると窓に駆けより、花飾りを

 

窓ごしにかざして見せた。私の乗った車にも、貧しい身なりの少女が、一人駆けよってきた。窓ガラスから

 

ようやく顔がのぞく位の背丈であった。浅黒い顔の中でくっきりと開いた二つの目が愛らしかった。細い右

 

腕には、ジャスミンの花飾りが幾重にもかさなりあって揺れていた。ちょうどスコールが通り過ぎた後だっ

 

た。雨の中にたたずんでいたのだろうか、少女の髪は濡れ、額や顔に流れるようにまつわりついていた。

 

 私は窓を開けた。むせかえるような分厚い熱気が、車内に流れ込んできた。そのとき雲が割れて積乱

 

雲の亀裂から、槍の穂先のように鋭い南国の光が投げかけられてきた。合歓(ねむ)の木の街路樹がい

 

っせいに深い緑にきらめき、アスファルトの道路は銀板のような反射光を送りだして、その光が少女の顔

 

を明るくした。少女は微笑(ほほ)えんだ。白く並んだ歯ならびが、ふっくらと盛りあがった唇の間に見えた。

 

 私は五バーツのコインを取り出して、手渡した。少女はコインを握りしめると左手で花飾りを一本抜き取

 

り、車の中に差しいれた。

 

 信号が青にかわり、車の列がうごきだした。少女は私を見上げ、もう一度ほほ笑みかけると、軽々と体

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をまわして駆け去っていった。

 

 ホテルに帰り、ジャスミンの花飾りをナイトテーブルに置いて、私はすぐにまた次の取材にとび出していっ

 

た。その日の午後いっぱい、私はバンコクの市内を駆けまわった。ボロ布れのように疲れた体をひきずっ

 

てホテルに帰ったのは、夜中の二時を過ぎたころだった。ドアを開けた途端、すずやかなジャスミンの香り

 

が私の全身を包み、鼻孔(びこう)に流れこんできた。スタンドのほのかな光をうけて、ジャスミンの花飾り

 

がおぼろに白く浮かびあがっていた。ジャスミンの香りは、部屋に満ち満ちていた。それはまるでジャスミ

 

ンの精が疲れ切って帰ってくる私を予測して、花の息吹きでルームの空間を満たしていてくれていたかの

 

ようであった。(了)

  
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