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一本のバラ/結城 桂

 

 一九六〇年代の後半、フランスのあるオペレッタのグループと契約してパリに滞在していた私は、母が

 

他界する七ヶ月程前、東京の自分のバレエスタジオを整理するため一時帰国した。かたづけを済ませて

 

パリに帰る日の朝、母は春の日差しがさしこむ茶の間で大きな目で私を見つめ、「もう、あんたには会え

 

ないと思うわ。元気でやるのよ。さよなら」と、唐突に言った。まるで忘れものを急に思い出したかのような

 

口調だった。「ふうん、どうして?」私も世間話をするような口調で問い返した。側にいた伯母が、「マア、

 

あんた達はなんという会話をするんですか。へんな親子ねえ」とあきれた。母は自分の残り時間が少なく

 

なっているのを、すでに感じていたのだろう。

 

 その年の九月母は風邪をひき、それが原因で肺炎になって入院した。「回復の見込みなしと、医者から

 

告げられた」伯母からの便りには、そう書かれていた。

 

 そのころ私は、オペレッタの劇団ディレクターのアニエル夫人の家に泊まりこんで、公演のためのダンサ

 

ーの手配や踊りの振り付け、コスチュームの手配などの仕事を手伝っていた。東京の伯母には「母が亡く

 

なっても、決してディレクターのオフィス宛に速達を送ったり、直接電話をいれたりしないでほしい」と頼ん

 

でいた。アニエル夫人は勘の鋭い女性だから、私の表情や態度から必ずなにかを察する。劇団を立ち上

 

げるためにフランス中を飛び回っている夫人に、余計な負担をかけたくなかったのだ。

 

 母の死を告げる手紙は、普通便で送られてきた。「安らかに逝った」と、伯母は書いていた。「死後大変

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美しい顔になり、看護婦さん達がこんなにきれいな顔になる仏様は珍しい、と驚いていた」とも…。

 

 覚悟はしていたとはいえ、異国で知る母の死は予想を超えて激しいショックだった。二、三日は感情を

 

抑えることができたが、胸苦しさに耐えかねてアニエル夫人に母の死を告げた。夫人はひどく驚き「帰る

 

?」と一言だけ訊いた。「ノン、これは分っていたことですから。

 

 来年三月に仕事が一段落してから帰ります」と私は答えた。「かわいそうに…」と夫人はそう言って、

 

私を強く抱きしめた。

 

 私は夫人にとって必要なスタッフになっていた。そのため夫人は、外国人にはなかなか発給されない

 

社会保障のカードも取得してくれていたのだ。「そのような厚意に対しても、身勝手は許されない」と、私

 

は考えていた。

 

 その晩、夕食をすませた私はいつものように三階のスタジオにある仕事部屋に上がり、振り付けに使う

 

音楽を聞きながら、コスチュームのデッサンをしていた。いつもなら夫人も一緒に仕事をするのだが、その

 

夜は私を一人にしておくつもりだったらしく、上がってはこなかった。

 

 〈仕事に没頭すれば、余計なことは考えなくてすむ〉と私は思っていた。だが実際は、なかなかそういか

 

なかった。母との数々の思い出が記憶のふちから湧き上がってきて、走馬灯のように私の脳裡を駆けめ

 

ぐる。デッサンの手は、なんどか止まった。

 

 私が年頃になったころ、母は一緒に出かけるのをひどく渋るようになった。私は年齢より老けて見られ

 

た。反対に母は病身なのにもかかわらず若々しく、他人からはよく姉妹と間違えられた。そのたびごとに、

 

「これは私の娘でございます」と母は生真面目に言い訳をした。挙句の果てに、「あなたもあなたよ」と、

 

理不尽に怒り出したりした。母は優等生タイプで、奔放な性格の私とはいまひとつ折り合いがうまくいかな

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かった。しかしいまとなっては、それも懐かしい。

 

 思い出に浸っていると、スタジオを歩く小さな足音がして、仕事部屋の前で止まった。ドアがノックされ

 

た。「だれ? お入り」というとドアが静かに開いて、アニエル夫人の四歳になったばかりの娘マリ・ポール

 

がそっと顔をのぞかせた。

 

「おいで」と私は呼びかけた。マリ・ポールはためらいがちに入ってきた。一本の赤いバラを手にしている。

 

長い茎の中ほどを大切そうに持ち、真剣な表情をして私の前に立った。マリ・ポールはまだあまりよく回ら

 

 

 「マダム、アナタノママン、チンダノネ。カナチイデチョ。コレ、アゲルワ。ソチテ、マリ・ポール、マダムニ、

 

ビズウ(キス)、タクサンチテアゲル」と一生懸命に言い、もって来たバラを私に渡すと膝の上に乗って、顔

 

中にキスをしてくれた。私はマリ・ポールを抱きながら、とめどなく涙を流した。マリ・ポールは父親譲りの

 

眼をみはって「ナイチャダメ、ナイチャダメナノ」と盛んに私を慰めているうちに、当の本人までもベソをか

 

きそうになった。私はあわてて彼女を抱きしめながら、「だいじょうぶよ、マリ・ポール。だいじょうぶ。マリ・

 

ポールはとてもお利口で、とてもやさしい子」と言いながら、栗色の巻き毛

 

や背中をなで続けた。そうしているうちに、こんどはマリ・ポールの姉の十歳

 

のイザベルが入ってきた。彼女は背をしっかり伸ばして私の前に立ち、大人

 

びた口調で「マダム、あなたのママンがなくなって私は大変残念に思います。

 

でも彼女は天国で必ずマダムを見守っています。だから、どうぞマダム、あ

 

まり悲しまないでください。この部屋には花瓶がないので、私のを使ってくだ

 

さい」。イザベルは後ろ手にもっていた一輪挿しの花瓶をテーブルに置いて

 

から、身をかがめて私の頬にそっとキスをした。

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 「ありがとう、イザベル。あんたは本当に心のやさしい娘ね」。私がキスのお返しをすると、彼女は嬉しそ

 

うに微笑えんだ。彼女は両親のどちらにも似ず、いつも人をうかがうような目つきをしている娘(こ)なの

 

だ。コーラスラインの誰かが、イザベルはアニエル夫人の前の夫の娘だと言っているのを聞いたことがあ

 

るが…。

 

 私はイザベルとマリ・ポールをスタジオの階段まで見送った。仕事部屋に戻って一輪挿しに水を入れ、

 

バラを生けながら、私は深々とした思いにとらわれた。

 

 〈フランスでは、子供達にもそれなりにキチンとしたお悔やみを言わせるマナーがあるのだろうか…〉。

 

そう思った私は、次の日の朝アニエル夫人にイザベルとマリ・ポールがバラの花を持ってお悔やみを言い

 

にきたことを告げ、お礼を言ってから、子供たちの礼儀正しく思いやりのある態度を誉めた。夫人は別に

 

どうということはないという顔付きで、「アラ、そう」と言っただけだった。〈子供達は子供達〉と独立した

 

人格として扱っているのだと、私は感じた。

 

私はこの一本の赤いバラの水を毎日かえた。バラの蕾は少しずつほぐれて、見事な大輪の花を開いた。

 

そしてその大きく開いたバラの花を見たとき、夫人は初めてしっとりと心に響く口調で「あんたのママン、

 

きっと天国で喜んでいるわよ」と言った。(了)。

  
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