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バラは雨に濡れて/児玉 和子

 

 夫は大正末期生まれ、愛情表現のへたな種族である。

 

 私も似たり寄ったりの昭和一桁生まれ。四月八日の釈迦の花祭りが誕生日である。

 

 夫は花祭りに花を贈る必要もないと思っていたのだろうか、誕生日に花をもらったことがない、と書いた

 

が一回ある。

 

 六十八歳の誕生日に二十本の見事な赤いバラの花束をもらった。

 

 なぜ二十本でことを済ませたか。夫の名誉のために注釈を加えると、夫に持ち運べる限度だった。夫は

 

病気の後遺症で片足が不自由になり杖を使う。杖と一緒に持ち運べる限度が二十本だったようだ。

 

 誕生日のその朝は、台風の余波で庭の木々は風雨に騒いでいた。朝食がすむと夫はレインコートを着

 

て「散歩に行く」と言った。「もっと小降りになってからになされば?」

 

 「大丈夫だ」こんな応酬のあと夫は出かけた。やがてインターホンが鳴った。

 

 「ちょっと来てくれ」夫の声だった。私は傘もささずに門に続く階段を駆け降りた。

 

 ぬれた包装紙がはりついた花束と、骨の折れたコウモリ傘を持った夫が立っていた。

 

 一瞬にして風雨の中を出ていった夫の気持ちが胸にきゅんと伝わり、熱いものがこみ上げ、涙は雨粒

 

に紛れた。私は花束と折れ傘を持ち、夫は杖でゆっくり階段を昇った。

 

 ひとしきりぬれ衣服の始末にかかわり、花束のぬれた包装紙を脱がせて夫に渡した。

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 「誕生日おめでとう」夫は照れて、花束を受け取ると同時に私に差し出した。

 

 「いや! ちゃんと愛の言葉を添えて渡して下さらなくては」

 

 私の照れは裏返って、こんな言葉となって花束を押し戻した。

 

 「釈迦は素直に甘茶を受けるのになぁ」独り言のような冗談のあと、一拍あった。

 

 「元気でいてくれよ、ぼくは和子を…」

 

 二十本の赤いバラは水々しいぬれた姿で私の手に移った。

 

 一年後私はこの夫を亡くした。

 

 聞き取れなかった「ぼくは和子を…」に続く言葉は、今はっきり私には聞こえる。 

 

 (完)

 

 

  
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