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口舌の徒/犬塚 幸士

 

 暗い少年時代であった。教室で積極的に発言し主張する優等生がいる一方、騒ぎまくって悪戯(いたず

 

ら)をし、ときとして「いじめ」に走るクラスメイトの不条理を認めながらも、教室の片隅でひたすら目立たぬ

 

ように体制順応を決め込んでいた私は、臆病(おくびょう)で卑怯(ひきょう)な子供であった。いまで言う

 

登校拒否常習の虚弱児だった。

 

 

 しかし人は成長する。転機は意外に早くやってきた。全世界に未曾有の惨禍と破壊をもたらした第二次

 

世界大戦(1941〜45)で日本が敗戦国となってから二年後の昭和二十二年(1947)、中国大陸に住

 

んでいた日本人は日本へ強制的に送還された。私は両親に連れられて中国南部の港町大連(だいれん)

 

から、引き揚げ船の信濃丸に乗った。その船上でのことである。

 

 乗船の順番を待つ収容所の日々では、いきなり中国の官憲が踏み込んできて、日本人を逮捕して拘引

 

(こういん)していく場面をなんども眼にした。なんの理由なのか子供の私には分からなかったが、その瞬

 

間収容所の空気は恐怖で凍りつき、収容されている日本人たちは老若男女の別なく身をすくめ、目を伏

 

せ、押し黙って事態が一刻も早く終わるのを待つしかなかった。「他人の管理下におかれるということは、

 

自由を完全に奪い取られる」ということなのでもある。

 

 やがて乗船の順番が回ってきて、私と家族は信濃丸に乗り込んだ。船長はまだ三十代の若い旧海軍士

 

官だった。彼はマイクを通じて「日章旗を掲げたこの船は、国際法により日本の領土と同じです。

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皆さん、もう安心してください」と語り、その温かい言葉は「自分の身は、国家によって保護された」という

 

事実をハッキリ伝え、「もう大丈夫なのだ」と子供心にもホッと安堵の胸をなでおろした。

 

 しかし出港した翌日、事件が起こった。乗船者全員が、殺気立った数人の男たちによって船倉に集めら

 

れたのである。そこには縛り上げられた三人の男が、青ざめた顔で身を震わせていた。

 

「こいつらの中に同胞(どうほう)を中国の官憲に売り渡した裏切り者がいる。いまから人民裁判を開く」。

 

リーダーとおぼしき屈強な男が吼(ほ)えるような大声で言って三人の男を立ち上がらせ、罪状を暴き立

 

てた。

 

 

 日本が連合国軍に無条件降伏して敗戦国になった昭和二十年八月十五日から、大連はソ連軍、中国

 

共産党軍が支配するところとなった。征服者だった日本人と被征服者であった中国人の立場は、一夜に

 

して逆転してしまった。日本人は中国人の復讐を恐れて、新しい支配者に媚び、へつらい、薄氷を踏む

 

思いで日々を送った。残念ながら、日本人の中には権力にすり寄って、一人甘い汁を吸おうとする人たち

 

いがたことも事実だった。彼らを弾劾(だんがい)し、報復したいと考える人たちがいることも理解できない

 

訳ではない。いまは船の中、しかも船は海の上にある。逃げ場はない。恨(うら)みを晴らす絶好のチャン

 

スだ。

 

 しかしこの人民裁判は、群集によるつるし上げであり、リンチであることも明白である。昨日までの鬱憤

 

を一挙に晴らすべく、人々は口々に「海に叩き込め!」「簀巻きにしろ!」と叫び、怒号が飛び交い、暴徒

 

化した人々は縛り上げられた三人の容疑者に殺到し始めた。そのとき三八式騎兵小銃を手にした船長

 

が、二名の船員を引き連れて現れた。どのような言葉で暴徒化した群集を鎮めたのか、私には分からな

 

かったが、とにかく「鮮やかに」としか表現できないほど瞬時にして、二百数十人の群集を鎮圧したのであ

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る。船長は船倉の階段に上り、よく通る声ではっきりといった。

 

 「昨日お話したとおり、本船内は日本の領土と同じです。したがって、日本の国内法が適用されます。

 

この船内では、船長が警察権を持っています。わが国は法治国家です。もしこの三人が法を犯したという

 

のならば、上陸してから警察に告発してください。刑法によって裁かれることになります。容疑者とされる

 

この三人の身柄は、それまで船長たる私がが保護します。暴行をはたらいたり傷害を負わせた者は逮捕

 

します」。船長は二人の船員に命じて三人の縄を解かせ、なにごともなかったかのように、静かに、涼や

 

かに去っていった。

 

 

いまにして思えば至極当然の話なのだが、一年半にわたる収容所という無法地帯での生活は、人を狂

 

わせていたに違いない。十六歳の少年だった私は、この若い海軍兵学校出身の旧海軍士官だった船長

 

のことを、爽やかな印象と共に脳裏に焼きつけ、六十年後の今日も鮮明に思い出すことができる。

 

 それ以後、私は以下の刑事訴訟法の該当条文を忘れたことはない。

 

 「239条」(一項)何人でも、犯罪があると思料するときは、告発することができる。

 

 「241条」(一項)告訴または告発は、書面または口頭で検察官または司法警察員にこれをしなければな

 

らない。

 

 「242条」司法警察員は、告訴または告発を受けたときは、速やかにこれに関する書類、証拠物を検察

 

官に送付しなければならない」

 

引き上げ船信濃丸で経験したこの事件は、私を成長させた。暴力に屈することなく、これに抵抗する自信

 

を得たからである。虚弱体質の私が、高校、大学と昂然(こうぜん)と胸を張って卒業できたのは、あの若

 

い船長のおかげだと、今でも思っている。

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 それを裏付ける大学時代の思い出に、このようなものがある。

 

 ある日の夕暮れどきに一人で下校する途中、夜の暗い城跡で相撲部の猛者たち数人に待ち伏せの闇

 

討ちを受けたことがある。法学部に籍を置いていた私は学生の自治会で何度か発言したことがあり、

 

その中で体育学部系の学生たちの粗暴な行いを弾劾(だんがい)したことがあった。それが彼らの恨みを

 

買ったのだ。私はを囲んだ相手に向かって、私はハッキリ言い切った。「話し合いになら応ずるが、殴れる

 

ものなら殴ってみろ。だが、ただで済むと思うなよ。即時暴行障害罪で告発するぞ」。

 

 彼らはすごすご退散したが、その後私には「口舌の徒」というあだ名だけが残った。(了)。

  
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