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節分/児玉 和子

 

 ある年の節分のころ、朝日新聞は天声人語で森鴎外の短編「追儺(ついな)」を引用した。料亭「新喜

 

楽」の老女将が、赤いチャンチャンコを着て鴎外が座っている客間にあらわれ、「福は内、鬼は外」と豆を

 

まく、というくだりだった。追儺は中国から七世紀末に入ってきた悪鬼疫病払(あっき・えきびょう・ばらい)の

 

行事で、大晦日(おおみそか)の夜に行われていた。鬼遣い(おにやらい)とも言い、蜻蛉(かげろう)日記

 

にも出てくる。それがいつのころか廃(すた)れて、代わりに立春前夜を節分として豆をまくようになった。

 

「それはいつのころだろう?」と長じて考えたが、幼いころの私は「鬼はほんとうにいるのだろうか?」と半

 

信半疑であり、おびえを感じていた。それでも節分には特別な思いがあり、二月三日に母が台所で大豆

 

を煎(い)っているゴロゴロという音が聞こえてくると、暗くなるのがまちどおしかった。

 

 

 日ごろは姉と二人で、夕食まえに雨戸を閉める。しかし節分の日は鬼や福の神が出入りするので、豆

 

まきがすむまで開けておく。こんなささやかな非日常的なことが、ワクワクするほど楽しかった。やっと暗く

 

なり、いよいよ父が豆をまき始める。父は「福は内」「鬼は外」と大声で言いながら、豆をまいていく。まず

 

庭に向かってまき、次は各部屋にまく。父の後について、鬼がいるかも知れない部屋から部屋を移動する

 

スリルは捨てがたかった。父のまいた豆を、私たち子供は競ってひろう。最後にご不浄(トイレ)にまいて

 

節分の行事は終る。

 

 母は「さあ、早く雨戸を入れてね」と私と姉に言いのこして台所に急ぐ。父や弟たちも行ってしまう。「女

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の子だけだと、鬼がもどってくるのではないか・・・」と、私はいつも心配した。暗い庭の奥に潜(ひそ)んで

 

家の中をうかがっている鬼を想像して、私はおびえた。怯(おび)えを感じながら、大急ぎで雨戸を閉め

 

た。姉も同じ気持ちだったようだ。二人ともガタピシ音をさせながらなんとか雨戸をひき終わると、一目散

 

に茶の間めがけて走った。茶の間は明るく、夕餉(ゆうげ)のおいしそうな匂いが漂い、火鉢(ひばち)では

 

鉄瓶(てつびん)から湯気が立ちのぼっていた。父はすでに徳利を傾け、食卓もふだんより御馳走(ごち

 

そう)が並んでいたような気がする。子供は最初にイワシを食べなければならない。私は魚嫌いだった。

 

これさえなければ、節分の日の思い出はもっと、もっと楽しいはずだ。

 

 晩ご飯を済ますと、先ほど四つんばいになって拾い集めた戦利品?を比べあうたのしみがまっていた。

 

わが家の「鬼打ち豆」にはキャラメルがまぜてあった。だからキャラメルを多く集めた者は得意になり、少

 

ない者はそれを羨(うらや)むという図式になる。

 

 私は四人姉弟の二番目だが、姉や弟たちに負けたことがなかった。なにごとにも猪突猛進する私は、い

 

つも一、二個拾うのがやっとの末弟にも容赦せず、チャンスも与えなかっ

 

た。末弟はいつも泣き出しそうな自分を、一生懸命抑えていた。私は

 

優越感をもちながらも、胸が痛んだ。いまそのことを思い起こすと、人生

 

もう一度やり直して末弟に謝りたくなるような悔恨(かいこん)の念にから

 

れる。

 

 その頃はどこの家でも、自宅で大豆を煎(い)った。「遺伝子組みかえ大豆」など無い時代、焙烙(ほうろ

 

く)でゆっくりあぶった大豆は、固いが香ばしかった。わが家は歳の数だけ豆を食べるだけだったが、豆を

 

半紙で包み、おひねりにして道の四つ角に置いてくる人もいた。節分の翌朝に登校する。途中の道の四

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つ角には、厄除(やくよけ)の願いをたくされた鬼打ち豆が散らばり、ヒイラギの小枝に刺したイワシの頭

 

がどの家の門にもさしてあった。

 

 最近は青魚や大豆の栄養価が見直されている。しかし昔の知恵者はとうにそのことを知っていて、

 

寒(かん)を凌(しの)ぐ栄養補給の意味で節分の夜に大豆を食べ、イワシを食べる慣(なら)わしを、歳時

 

(さいじ)として組み込んでいたのではなかろうか。

 

 このところ一月末になると、スーパーなどには柔らかく加工した鬼打ち豆が早々にならぶ。私はそれを

 

みて「もう立春だ。春はすぐそこに来ている」とスーパーで春を仕入れる。

 

 少子化に加え、核家族、独り暮らしが増えたせいか、節分に豆をまく家はすくなくなった。かく言う私も、

 

子供たちが成人した辺りから、節分の鬼打ち豆とは無縁になった。家ごとに豆をまく行事が廃(すた)れる

 

なかで、裃(かみしも)を着用した人気力士やタレントが、有名社寺で豆をまくようになった。

 

 今年、節分の次の日、自宅のある中野新橋のあたりを歩いていたら、イワシの頭をヒイラギの小枝に刺

 

して表札の横に飾った家を見かけた。雪もよいの寒い夕暮れだった。そのことが遠い昔の節分の日に重

 

なり、一瞬「福は内、鬼は外」という父の温かい声が耳の奥を流れ去った。それを感じたとき、私は胸を締

 

めつけられるほどのたまらない懐かしさに駆られて、思わず立ち止まってしまった。(了)

  
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