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津軽三味線/児玉 和子

 

 津軽三味線を初めて聴いたのは、初代高橋竹山の独演会だった。会場は渋谷のライブハウスだったと

 

思うが、記憶はさだかではない。

 

 盲目の竹山は太棹の三味線を抱えて弟子に手を引かれ、舞台に現れた。がっちりとした男性的な体を

 

黒羽二重の紋付きに包み、仙台平の袴で椅子に座ると客席に向かい、「いやー、沢山のお運びで」と呼

 

びかけ、笑いを取った。竹山は続けて、「見えないくせに、と思っておられる顔が私にはよく見えます。目の

 

見える方には、そんな私は見えない。目が見えるということは、なにかと不自由なものですな」と言って

 

また笑いをとった。この瞬間に、客席と舞台は温かいなにかで一つに繋(つな)がった。そのあと竹山は、

 

自分の生い立ちや津軽三味線で生業(なりわい)をたてるまでのエピソードを、淡々と話した。闇の世界

 

から始まった人生を生きてきた人とは思えない、達観した明るさに、私は感動さえ覚えた。

 

 「昔、門付(かどづけ)をして歩いていた頃は、よくからかわれました。お金を投げてよこす人がいまして

 

な、音のしたあたりに見当をつけて這いまわっていると『もっと右だ』などと親切に教えてくれる。私は右を

 

探す。実は左なんですな」。竹山は瞼の裏に往時を偲ぶように、首を傾けたり、上を仰いだりして、思い出

 

を手繰り寄せながら話し続ける。観客は竹山の全人格に引き込まれていった。

 

 「こんなことが私の勉強になりましてな、右と言われたら左を探す知恵が出ました。だが、温かい人もたく

 

さんいまして、あれは雪道を歩き疲れた夕暮れでした。湯を入れた桶で足を温めさせてもらい、囲炉裏の

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そばに招いて頂いた。あたたかい味噌汁のうまかったこと、忘れられません」。ひょうひょうとした語り口は、

 

私に味噌汁から立ちのぼる湯気さえ思い描かせた。やがて竹山は「くだらないことを言っていないで、早く

 

三味線を弾けというお客さまの気持ちが伝わってきます。私も弾きたくてうずうずしています」と三味線を

 

持ち直した。会場が小さくざわめいた。空気が張りつめる。竹山は爪弾きで音を確かめた。

 

 次の瞬間、背筋がピンと伸びた。当時七十余歳だったはずの竹山は、太棹に撥を叩きつけるようにして

 

最初の音をかき鳴らした。津軽の風が流れ出る。撥のうごきが早まる。力強い三味線の音色が、変幻自

 

在に重なり合いもつれ合いながら、津軽の風土を織りなしていく。音色にひそむ叙情が、しょうしょうとして

 

心に響いてくる。盲目の竹山は、闇を通して感じた四季折々の津軽平野を語っていく。

 

 吹雪く日の辛さ、暖かい春の日の幸せ、烈日の夏の汗とのどの渇き、豊かな実りを感じさせた秋の風、

 

それら総てがないまぜになって昇華され、いま津軽三味線に託されて、竹山の心の内を繰り広げている

 

のだ。竹山が今日に至るまでの道程(みちのり)は闇に続く闇だっただろう。だが闇の向こうに穏やかな光

 

を見いだしたからこそ、人を愛し生きとし生けるものを慈しみ、その心をこれだけのゆとりを持って三味線

 

の音にゆだねる芸域に到達したのではなかろうか。初代高橋竹山が亡くなって久しい。だが、津軽三味

 

線の音色は後継者達に受け継がれ、いまもなお力強く津軽を語りつづけている。(了)

  
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