1

雪の華/結城 桂

 

 私がフランスのパリにバレーを学ぶためやってきたのは、一九六五年の十月半ば過ぎだった。

 

 北国の厳しい寒さを覚悟してきた私は、初めての異国での生活に緊張すると共にいささか興奮をして

 

いたのか、大気に冷たさは感じたが「それほどの寒さではないな」と思っていた。

 

 しかし年が明けて間もなく気温は下がり始め、零下二十度近くなった。外に出ると、冷たい鉄板で顔を

 

たたかれるような冷気だ。雪も降る。それでも私は毎日ダンス・クラシックのレッスンに、地下鉄(メトロ)で

 

二駅あるスタジオまで歩いて通った。そんなある日、午前のクラスを終えた私は帰り支度に手間取り、

 

仲間たちよりだいぶ遅れて四階の更衣室を出た。外は渡り廊下のようになっていて、窓ではなく、ちょうど

 

腰の高さ辺りから上が一面のガラス張りになっていた。暗い空から雪が舞い落ちているのに急に明るい

 

陽射しになり、ガラスがきらきら光った。と、そのガラスに吹き付けた雪の一片がたちまち結晶になった。

 

 私は雪の結晶の実物を見るのは、初めてだった。再び雪がガラスに当たり結晶ができたが、最初の

 

結晶とはちがう柄で大きさも違う。気がつくとガラス全面に、大小さまざまな結晶がついては消える。と、

 

また別の場所に付く。まるで花が開くようだ。外気と屋内の温度差がなせる現象なのかどうかまったく

 

分らなかったが、私はこの夢のように美しい光景に陶酔した。

 

 チャイコフスキー作曲によるバレエ 「 くるみ割り人形 」で、第一幕から二幕のお菓子の国へ行くのに、

 

雪の国を通るシーンがある。そこで雪の精たちが踊る音楽の、悲壮なまでに美しい旋律を、私は思い出し

2

 

た。ロシア人であるチャイコフスキーは、かの国でいま私の見ているような情景を数多く見知っていたに

 

違いない。それであの美しい音楽ができたのだろう。私は更衣室のドアにもたれてただ一人、この豪華と

 

も言える雪の華のスペクタクルを、ふたたび暗くなった空が終えるまで、呆然と眺めていた。(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
−Copyright (c) 2008-2009. Kashinokikai. All rights reserved.−