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焼酎今昔―G灯籠ながし

 

 数年前の夏の夜、九州山脈の山道を

 

歩いていたら、とある農家で酒盛りを

 

やっていた。塗りこめたような闇に家の

 

広間が明るい四角に切りとられ、その

 

空間だけが額縁の絵のように浮かん

 

で、人々が焼酎をついだり、注がれた

 

焼酎を顎をあげて飲んだり、談笑した

 

りしている。その人たちの姿を見ている

 

うちに、ふと「霊と人間の関係は、こんなものではなかろうか?」と思った。闇の中から屋内

 

の明かりにいる人々はありありと見てとれるが、「家の中から、闇の中にいる私の姿は見

 

えないだろう」と考えたからである。

 

 「我々は霊に囲まれている。霊は我々のあらゆることを見ている。しかし、我々は霊を見

 

ることはできない」といった考えかたは、日本人だけではなく、アジア人に共通した概念か

 

もしれない。東南アジアでは、ピーという霊の話を聞くことが多い。

 

 

 英国の大学で学んでいた二十代のころ、イギリス人の友人が「日本人がいうところの霊

 

とはなにか?」と質問してきた。たまたま能の「清経(きよつね)」の筋書きを覚えていたの

 

で、例にとって説明を試みた。清経は平家一門の武将で、源平合戦の壇ノ浦の戦いで敗

 

れたのち豊前の国(現在の福岡県東部と大分県北部一帯)まで落ちのびる。しかし平家

 

滅亡をはかなんで柳ヶ浦に入水し、命を絶つ。清経はある夜霊となって、京の都にのこっ

 

た妻の夢枕にたち、合戦のむごさ、悲惨さを語って夜明けと共にさっていく、という話であ

 

る。「歴史好きだし日本史にも明るい

 

から、霊をあつかったこの筋立てな

 

ら日本人の霊に対する考え方がわ

 

かるだろう」。そう思ったのである。

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 なんとか粗筋(あらすじ)を説明した。そこまではよかったのだが、友人はイギリス人らし

 

い意地の悪さで突っこんできた。「それはゴースト(幽霊)か?」「ちがう。スピリット(精霊)

 

〈だ」「スピリットなら、人間の目には見えない」。それもそうだが、ソウル(魂)じゃチトおかし

 

い〉と自分でも首をかしげたりして四苦八苦。語学力不足も手伝い、ひどい目にあった。そ

 

れ以来「日本の霊というのは、ゴースト、スピリット、ソウル、フェアーリー、それら諸々の

 

英単語をすべてひっくるめたもの」と自分では思っている。このときの悪戦苦闘ぶりから見

 

えてくるのは、日本語と英語というか、日本語とヨーロッパ言語とのちがいだと思う。日本

 

語は合理的な明晰さには欠けているが、輪郭がボヤけているだけ、感情を表現したり想像

 

を豊かにふくらましていくには適した言葉と思える。一方ヨーロッパ言語は言葉を文法でき

 

びしく縛りあげ、論理を追う。かの地の言葉とくいちがいが生じるのは、あたり前といえばあ

 

たり前だと思った。

 

 

 さて…。

 

 イギリスの友人との交遊は、その後もつづいた。そして数年前、友人は母親をなくした。

 

友人は一人息子で、長年病床にあった母親を看病していたから五十を過ぎても独身だっ

 

た。最愛の母親をなくして気落ちをしているさまは、電話の声からも察することができた。

 

〈なんとかせねば〉とヤキモキしていたら、宮崎の友人が「お盆にきてもろたら、どうかい?

 

」と提案した。イギリスの友人は、それまでに二度ほど日本を訪れていて、宮崎では友人

 

の家にも招待され、友人のお母さんや

 

奥さん、息子さん、娘さん総出でにぎ

 

やかなもてなしをうけていたのである。

 

お母さんは「ウンにゃ、まァ、こんイギ

 

リスさんナ、冷え汁(宮崎の夏の食べ

 

物)まで食いやっちゃろかい」と大笑い

 

し、ウーやんと息子さんは「レッツゴー、

 

レッツゴー」と一気飲みで焼酎をすす

 

め、すっかりデキあがった本人は上機嫌でシビや黒鯛の刺身に舌鼓みをうって、カレッジ

 

ソングやイギリス民謡までご披露する喜びようだった。

 

 

 「なぜ、盆かい?」と友人にたずねると、「日本のお盆じゃ、ご先祖さまがあの世からこの

 

世に帰ってくるじゃねえか。〈日本でお前のオッカサンに会え〉っち、言うてみないよ」という。

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 「西洋人にわかるじゃろうか…」。私は半信半疑だったが、「言うてみらにゃ、わからんじゃ

 

ねえか」という友人の言葉に〈それも、そうだ〉とロンドンに電話をいれた。反応は驚くほど

 

早かった。数日後、友人から「日本にいく」という返事の電話があった。

 

 

そして、友人はやってきた。お盆の迎え火を東京の家で焚(た)き、京都で五山の送り火を

 

見て、私の実家がある宮崎県北部の街につれていったのは盆祭りの終わる日、灯籠(とう

 

ろう)ながしがおこなわれる日のことだった。市内をながれる五ヶ瀬という川には、川岸から

 

流れに向かって桟橋(さんばし)が組まれ、夜のとばりが降りると人々が三三五五につどっ

 

てくる。蓮の華(はな)をかたどった皿船に灯明(とうみょう)がともされ、、流れにのせられ

 

る。灯籠は蝋燭(ろうそく)の灯りをまたたかせながら暗い川面を漂い点々とひろがって海

 

へと向かっていく。桟橋や岸辺では

 

先祖の霊を見送る人々が、手を合

 

わせて祈っている。

 

 「四日間を共にすごした先祖の霊

 

を、天に送っているのだ」と、私は説

 

明した。友人はその光景を、くい入

 

るように眺めていた。そして「美しい

 

儀式だ」と深々とした声でつぶやい

 

た。どうやら友人は、日本人のもつ霊への思いがわかったようだ。

 

 今年もまた、お盆がやってきた。あの夜、彫りの深い憂(うれ)い顔に強い感動の色をう

 

かべ、流れに乗って漂っていく灯籠の火を見つめていたイギリスの友人をしみじみと思い

 

出す。(了)。

 

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