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焼酎今昔―Fタケやんの川

 

 渓流が夏の陽ざしを浴びていた。銀色の

 

飛沫(しぶき)を陽の光にとばしながら岩間

 

を走り、淵に流れこんでいく。流れはふたた

 

び瀬に駆けだし、小波をたててきらめきな

 

がら岩と岩の間をぬってつぎの淵(ふち)に

 

落ちていく。鋭く切りたつV字渓谷の急傾斜

 

は鬱蒼(うっそう)と木々が茂り、山々は分厚い

 

緑に覆われて、藪ウグイスやヤマバトの鳴く声がときおり瀬の音にまじって聞こえていた。

 

 タケやんが釣竿をふった。対岸のネコヤナギの茂みに向って赤と白に色分けされた玉浮

 

きがとび、狙いすましたようにそのすこし上の流れに落ちた。玉浮きは流れにはずみなが

 

ら、茂みが淵に影を落とすあたりにちかづくと、スッと水中に消えた。つぎの瞬間竿先があ

 

がった。釣糸がピンと張り、白銀の直線となって深緑の背景を割った。水中で白く魚体が

 

反転した。タケやんは、さらに竿をあげた。二〇センチほどのヤマメが流れを尾鰭(おびれ

 

)で叩きながら、引き寄せられてきた。

 

 「ワハッ、こんやつはデケエわい」。タケやんは笑いながら左手でヤマメをつかみ、赤銅

 

色に日焼けした笑顔を私に向けた。九州山脈の奥深い山中で人生のほとんどを過ごして

 

きた男は、鑿(のみ)で荒く削ったようないかつい顔立ちで、目も鼻も口も造りが大きい。顎

 

は四角く角ばっている。

 

 「火の用意は、でけとるかい?」。タケやんはヤマメを鉤(はり)からはずしながら大声で

 

問いかけてきた。「でけとる。竹串もけずっちょったぞ」。ゴロタ石で囲んだ竈(かまど)で、

 

熾(おき)が赤々とはぜていた。

 

 「ヤレヤレ、これで焼酎が飲むる」。

 

 喜寿(きじゅ)が近い年よりとは思えぬ確かな足どりで、タケやんは岩場を登ってきた。竹

 

竿を岩にたてかけ、ドッカと胡座(あぐら)を組

 

む。魚籠(びく)からヤマメをつかみだした。岩

 

の上に、美しい魚体が六匹並べられた。淡い

 

褐色の胴体には、朱色の斑点が散っている。

 

私はヤマメに塩をつけ、串に刺していった。

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 タケやんはナップザックから焼酎の二合入りカップをとりだした。焼酎の中身は少々へっ

 

ている。それは朝、釣りを始める前に盃一杯分だけ、川の神さまにささげたからである。焼

 

酎を谷川にそそぐとき、タケやんは「ちいっと(少し)だけでいい。あんまり神さんにやると、

 

俺たちの飲む分がねえなるかいな」。そう言ってカラカラと笑い「川ン神さん、山ン神さん、

 

どうかいい釣りを、させチくだっせ」。神妙に目を閉じて、頭(こうべ)をたれた。

 

 火に焙(あぶ)られたヤマメは、やがて香ばしい匂いをたてはじめた。「ホイ」と、タケやん

 

が焼酎をさしだしてきた。竹を輪切りにして作った盃で焼酎をうけ、最初の一杯は一気にの

 

んだ。青竹の香りが焼酎とからまり、「フーッ」とため息をつきたくなるようなうまさである。

 

滑らかな味は喉をうるおしながら胃に落ちて、酒精が瞬時に五体の隅々にちっていく。

 

 「ホラ」と、焼酎がまたのびてきた。さらに飲む。ジワリと酔いがたちこめてくる。タケやん

 

も竹の盃でグイグイ飲んでいく。顔に赤みがさしてきたとき、「ヤマメも焼けた。昼メシに

 

すっかい」と、タケやんが言った。その言葉で、

 

胃袋が音立ててうごきだした。握り飯に漬物、

 

それに焙ったヤマメだけの昼飯である。まるまる

 

と太ったヤマメはやわらかく、噛むと肉汁が口蓋

 

(こうがい)に満ちた。「ええ天気じゃのォ」とタケ

 

やんは、青空にくっきりと稜線をきざんだ山を

 

見上げて言った。全山目に染む緑だった。峰近く

 

から白雲がわきあがっている。真夏の太陽は谷底

 

まで、惜しみなく燦爛たる光の粒子を送りこんでいる。沢風が吹きぬけて、汗ばんだ体を

 

冷やしていった。

 

 「五時にゃ、谷底は暗うなるじゃろう」と言うと、「もちっと、早えかもしれん」とタケやんは

 

答えた。九州山脈もここまで奥深くなると、山は斧で断ち割ったように急角度で切れこみ、

 

峰と峰との間の空は狭く、天空に光があるのに谷間は暮れているといった状態になる。

 

「腹がクチた。昼寝じゃ」タケやんはそう言って手枕で横になった。すぐに軽い鼾(いびき)

 

が聞こえ始めた。

 

 

 タケやんと私の出会いは、三十年ほど前になる。九州は台風銀座といわれるほど台風

 

の直撃を受けるが、この年七月の台風は予想を超えたスロースピードで進み、各地に激し

 

い風と大量の雨で大被害をもたらした。このとき、九州山脈を縦走していた高校生五人の

 

登山グループが奥山で遭難した。下山をあせった高校生たちは、沢(さわ)に迷いこんだ

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のである。高校生の一人が、私の縁続きの者だった。消防団がいっせいに救助に向かっ

 

たが、荒れ狂う山は足場も悪く、谷川も激流と化していたので二重遭難となる危険があり、

 

捜索は早々にうち切られた。ところが山にのこって単独で奥山にわけ入ったタケやんが、

 

五人を発見した。タケやんは、冬になると猪を追って山を駆けめぐる猟師でもあった。

 

 〈高校生達は獣道に迷いこんだに違いない〉と見当をつけたのだ。読みのとおりだった。

 

五人は沢沿いに山を下ろうとしたが、増水した谷川に行く手を阻まれて岩棚の上で立ち

 

往生をしていた。夜の闇がせまっていた。消耗しきった五人を見て〈夜が明けるまで下山

 

はムリだ〉と判断したタケやんは藪(藪)に入って手斧をふるい、雑木を切って鳥屋(とや)を

 

組み上げ、五人をその中に入れた。そして

 

トヤの前で、盛大に焚き火を燃やした。風雨

 

の中で火をおこす知恵を、タケやんは心得て

 

いた。青竹を切り、鉈(なた)で削いでケバだた

 

せ、そこにマッチの火をうつして種火を作る。

 

青竹は油を出して焔を盛んにする。細く割っ

 

た竹を加えてさらに火を大きくし、杉の皮や

 

小枝で火勢を強くする。火の勢いが増したところで生木を加えると、乾いたところから燃え

 

始め、生木は勢いよく湯気を噴き出しながら轟々たる炎をあげはじめる。トヤの五人は

 

火照(ほて)りを受けて衣服は乾き、躰は温もり、まどろみで体力も回復した。「小父さん

 

は明け方まで、休まず火を燃やしつづけた」と語ったのは、私と縁続きの高校生だった。

 

闇に光る斧の刃、生木を切る音、薪がなげこまれるたびに火の粉が舞い上がった。

 

「あのときほど自分たちは守られている、と感じたことはない」と、彼はのちにつけ加えた。

 

そして「大きくなったら、あんな大人になろうと思った」とも。「いざというとき、他人を守れる

 

大人に」

 

 夏の陽を浴びて、タケやんは鼾(いびき)を立てて眠っている。夕まずめの釣果を狙う

 

まで、二時間ほどひと休みである。(了)。

 

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