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焼酎今昔―E浜木綿

 

 浜木綿(はまゆう)は宮崎県の県の花だが、

 

夏の季語でもある。

 

 「はまゆうに 雨しろじろと かつ太く」と俳人

 

素逝は詠(よ)んでいる。

 

 確かに、夏の夕立ちや秋の日照雨(そばえ)

 

に濡れる浜木綿には風情がある。しかし私が

 

好きなのは、浜辺で明るい直射日光を浴びな

 

がら、青い空、群青色の海に白い花をかがやかせる浜木綿で、長い筒状の茎や緑の葉も

 

強い陽の光をうけてこそいちだんと鮮かさを増して、夏の景色に映えるような気がする。い

 

ずれにせよ、好みの問題であることは言うまでもない。浜木綿を見るたびに、友人のウー

 

ヤンを思い出す。

 

 ウーヤンは宮崎の市内にある饅頭屋の一人息子で、一回り歳下の友人。盆暮れや縁日

 

になるとデパート近くに店を出し、声張り上げて饅頭を売っていた。自前の店はあるのだ

 

が、根っからの人好きだから、賑やかな場所が好きだったのだろう。そのウーヤンと、一ッ

 

瀬川の河口に素潜りに出かけたことがある。そのとき、浜辺で焼酎を飲んだ。これがいま

 

なお忘れがたいほど、豪華なものだった。

 

 ウーヤンは「痩身竹のごとし」といった躰つきだった。しかしスポーツ好きで、とくに泳ぎが

 

達者だった。夏のある日、電話がかかってきて「いい場所を見つけた。魚突きにいこや」と

 

誘われた。素潜りで魚を追うのは私も大好きなので、さっそく二人で出かけることにした。

 

午後の入り潮を狙い、宮崎からの出発は午後二時ころとし、車の荷台に二本のヤスに

 

鉄鍋、包丁に俎板に大根、醤油に塩に焼酎一升を積みこんで、一ッ瀬の河口に出かけた。

 

浜辺に着いたとき、陽はやや西に傾いていたが、夏空には

 

目に痛いほど光の粒子が満ちみちていた。潮風が熱気を帯びて肌にからみつく。褌(ふん

 

どし)を締めこみ、波うちぎわに座りこんで潮時を待った。魚は上げ汐にのって河口に入っ

 

てくる。直射日光に焙られ、汗をかきながら海を見ていると、やがて海面が青みを深め、潮

 

の香が濃くなり、浜辺に寄せる波が足元を洗い始めた。

 

 「頃合じゃの」「ウン」。ウーヤンと私はヤスを取って立上がり、水中眼鏡をつけて水に入

 

った。波が躰をあおる。その何度目かの波にのって躰を浮かし、海に泳ぎでた。上げ潮が

 

真水を押し戻している。水中には無数の透明な水玉が散り、流れ星のように駆けめぐって

 

いた。水の中ではオブジェのように見える波止めのテトラポットを越えると、海が急に深く

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なった。

 

 メジナやニサダイ、コアジの群れが、汐にの

 

って走っている。ときおり海面に顔をだし、息を

 

整えながら水中を窺っていると、数メートル先

 

でウーヤンの躰がクルリと反転した。両脚がせ

 

わしなく水を打ち、躰は一本の棒となって、見

 

る間に緑色に輝く水底に達した。うごきが止ま

 

った。つぎの瞬間、ヤスが突き出された。躰が

 

再度反転して水底(みなぞこ)を蹴り、水面に向かってくる。ヤスの先に三十センチほどの

 

黒鯛(チヌ)が貫かれていた。海面に浮くとウーヤンは水中眼鏡を額に押し上げ、平手で

 

顔をぬぐい、〈どうじゃ〉。白い歯を見せて笑ってヤスを支えながら、片手泳ぎで浜辺に向

 

った。一時間ほど獲物を追い、浜辺にあげ、海に泳ぎ出た。六匹の黒鯛とスズキ一尾が、

 

その日の収穫だった。

 

 太陽はすでに山の端にかかっている。大気は蒸れ、高い熱を含んでいた。

 

 竃(かまど)作りにかかった。砂丘を手で掘って三方を太い流木で囲み、粗朶(そだ)を

 

入れてマッチで火を点けた。炎があがると、流木の太枝を置いた。潮に洗われてスベスベ

 

になった木肌には、塩分がこびりついている。火が移ると、青白く縁どられた炎が燃え上

 

がった。

 

 黒鯛を二匹、ブッ切りにした。刻み大根と共に鉄鍋に入れ、醤油と塩で味つけした。やが

 

て鍋が煮え始めた。ウーヤンが焼酎をコップに注ぐ。顎をあげ、焼酎を呑んだ。喉を伝い、

 

焼酎が胃袋に落ちていく。熱い酒精がそこか

 

ら五体の隅々めがけて散っていく。ドンブリに

 

うしお汁を汲み、フーハーフーハー息をつきな

 

がら汁をすすり、黒鯛の身を噛む。夕映えに

 

日向の山々が浮かび、沖合いに満月がのぼ

 

ろうとしていた。潮風に混じって、浜木綿のさ

 

わやかな香りが漂ってきた。

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 数年後、私は作家となった。仕事で海外に出かけることが多くなり、ウーヤンとの音信も

 

途絶えてしまった。そんなある年の暮れ、橘通りを歩いていたら後ろから声をかけられた。

 

ふり返るとジャンパー姿のウーヤンが立っていた。着ぶくれしているせいか、少し太って見

 

えた。「ヤア、ひさしぶり」ということになり、喫茶店でしばらく話をした。「女房、もらうこつに

 

なった」とウーヤンは、すこし照れたような顔で言った。「そりゃあ、よかった。お前も、もう

 

三十じゃしな」。聞けば相手はスナックで知り合った女の子で、「デキチャッタ結婚、なつ

 

よ」。そう言うので「親にゃ話したっちゃろな?」「何とか話した」「式はいつか?」「年明け

 

早々じゃ」「ダブルプレーじゃな」「もう腹も太くなっちょる。子連れで式になるかも知れん。

 

そしたら、トリプルプレーじゃ」。そう言って、ウーヤンはカラカラと明るく笑った。

 

 

 さらに数年が過ぎた。あるとき所用で宮崎に帰り、仕事先

 

の会社に立ち寄ったら、ロビーを出てくるウーヤンにばった

 

り出会った。宅配業者の制服を着て、すっかりふくぶくしく

 

なっていた。荷物を届けてきたところだという。立ち話になっ

 

た。「素潜りにいくこつはあっとか」と、私はたずねた。「子

 

が三人になった。稼がにゃならんから、暇がねぇ」。それに

 

…、と口ごもり「海が少しオジイなったつよ(こわくなったん

 

よ)」。自然なことだ、と私は思った。〈生きることに、責任を

 

感じだしたのだ〉。「焼酎は?」「それは相かわらず」とウー

 

ヤンは笑った。幸せそうな笑顔だった。店は奥さんに任せていると言う。

 

 今年の九月、私は車で一ッ瀬川の河口に出かけた。若いころウーヤンと素潜りをした海

 

が無性に懐かしくなったからだ。秋の海は静かだった。陽の光りもやわらかかった。浜木

 

綿が一叢(ひとむら)豊かな香りを漂わせて、浜風にゆれていた。山々が秋霞にぼやけて

 

いた。「階前ノ梧葉(ごよう)スデニ秋聲、だな…」と私は独りつぶやいた。(了)

 

 

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