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焼酎今昔―Kタコ釣り

 

 毎年夏になると、決まってある日、仕事場の

 

電話が鳴る。受話器をとると「ヨーイ、元気か

 

い?」と、宗六やんの声が響いてくる。宮崎県

 

の北にある北浦海岸に住む友人で、今年

 

七〇歳になる漁師である。

 

 「ヨォー、あんたかい。まだ生きちょるぜェ」

 

と、私は答える。すると宗六やんは「東京みて

 

えな人間ン多いとこに一人でおったっちゃ、

 

ノサン(つらい)じゃろうが。たまにゃ、焼酎飲

 

みに帰っちきないよ。タコが釣るルきよ。魚もウメエぜ」。長年のつき合いだから、私の海好

 

き山好きをよく知っていて、どこをどう突つけば郷愁をかきたてるかもしっかり心得ている。

 

私の脳裡にはたちまち紺碧(こんぺき)の夏空がひろがり、白い積乱雲がわきあがり、黒

 

潮の日向灘が浮かび、鼻孔につよく潮の香がただよってくる。なによりも、宗六やんの赤

 

銅色に日焼けした笑顔がなつかしい。すかさず宗六やんは「エッヘッヘ」という笑い声をた

 

て、「どうじゃい?」と煽(あお)る。

 

 ここまでたたみ込まれるともうプッツンで、仕事も予定もどうでもよくなる。

 

 「わかったわい。来週には帰るわい」と答えてしまい、受話器を置くや否やあわただしく

 

カレンダーをめくる羽目となるのである。

 

 宗六やんの村は日豊海岸の入江にあり、この辺りは地図で見ると、大分県佐賀関から

 

宮崎県日向市まで、陸地が瘤(こぶ)のように海にせり出し、山は海に迫って、海岸線は

 

ギザギザに入り組んだリアス式海岸である。

 

 宗六やんは七〇過ぎだが、骨格たくましい。丈高く、身軽くうごき、漁船をあやつる姿に

 

老いの崩落はどこにも見られない。数年前、漁船で沖にトロールにでたとき、体長一メー

 

トル半のカンパチがかかった。そのとき、釣糸を巻き揚げる上腕二頭筋と二の腕のたくま

 

しさには驚嘆した。若い頃には北は土佐沖、南はトカラ列島まで一人で漕ぎ出してカツオ

 

やマグロを釣りあげたというが、それも「ムベナルカナ!」と思わせられる筋肉のうごきだ

 

った。

 

2

 

 さて。羽田から宮崎にとび、車で県北の北浦

 

海岸に走った。県北の町、延岡からは一本道

 

である。かってはいくつか険しい峠を越えねば

 

ならず、二時間ちかくかかった道のりも、道路

 

が整備されてトンネルがぬけてからは、40分

 

も走れば着くようになった。

 

 途中の酒屋で焼酎を買った。イモ焼酎であ

 

る。私も宗六やんも大の焼酎飲みだが、とくに

 

乙類のイモ焼酎が好みで、あの独特のイモの

 

臭みがないと飲んだ気分になれない。昨今の

 

焼酎ブームで、東京のスナックやレストランでも焼酎を見ることが多くなった。

 

 だがイモ焼酎は匂いと味が強烈なためか、さすがにおいている店はすくない。だから、

 

ときおり場末の飲み屋で見つけたりすると、旧知に出会ったように嬉しくなってニコニコし

 

てしまう。

 

 最初の峠を上りきる。太平洋が視野いっぱいに広がり海も青、空も青。「天水タダ碧色」

 

の世界である。車を止めて目をこらすが、光の粒子が夏空に満ちていて、どの辺りが水平

 

線なのか見分けがつかない。熱と湿気を含んだ大気が海から吹き上げてきて全身をうち、

 

それだけでも気持が高揚する。さらに峠とトンネルを二つ通って村に着くと、宗六やんと

 

奥さんは、家近くの畑でトマトの手入れをしていた。車の止まる音で二人は背をのばした。

 

「焼酎もってきたぜ」と窓をあけて大声でいうと、「そうかい」と宗六やんは笑い「家で飲ん

 

だっち、ウメエこたねえ。海に出て、タコ釣りしながら飲もヤ。潮のあんばいもいいかい」。

 

太陽の位置が、やや西に傾いている。「おい」と宗六やんは奥さんにふりむき、「味噌と

 

野菜をもっチこい」

 

 「アイヨ」と芝居にあるシーンのように奥さんは応じなかったが、腰軽く家にはいっていっ

 

て、タッパウエアを抱えて出てきた。

 

 「玉葱を冷蔵庫に入れちょったよ。よう冷えちょるよ」奥さんは日焼けした顔で笑った。

 

3

 

 一時間後私と宗六やんは、漁船のうえ

 

で入り江の波にゆられていた。宗六や

 

んはグラスファイバーの釣竿を一本、

 

私に手渡した。リールから釣糸がのび

 

て、先端(せんたん)に円錐形の分銅が

 

ついている。そこからさらに二〇センチ

 

ほどの導糸がでていて、錨(いかり)の

 

かたちをした釣ばりが糸先についてい

 

る。仕掛けはそれだけ。竿をふって分銅

 

をとばして、あとは竿をしゃくりながら

 

リールを巻いていく。分銅は海底でとび

 

跳ね、タコはそれに気づくと縄張りに侵入されたと思い、怒って抱きついてくる。釣糸を

 

つうじて、タコの重さがつたわってくる。すかさず竿をあおる。釣ばりがタコをひっかけ、

 

タコは茶色い藻草のかたまりのような姿で引きあげられてくる。

 

 「いまは、プロパンがあるかい便利になってなあ」と、宗六やんは船底においたプロパン

 

ガスのコンロで海水を煮立たせながらいった。「昔しゃあ、木枠に赤土を入れチよ、それを

 

固めチよ。船底において五徳や窯(くど)に鍋をすえチ火を焚いたもんじゃ」

 

 「危ねぇなあ。波が高けぇときにゃ、オジかったじゃろが」漁師は船火事をもっとも恐れる。

 

逃げ場は海しかないから、外洋では命とりになるのである。

 

 そんな話をしながら、釣れたタコを鍋にほうり込む。アッという間に、タコは赤くゆであが

 

る。頭はまん丸、八本の脚もきれいに丸く固り、それを氷水で冷やしてブツ切りにして、

 

カボスを絞ってつくった酢味噌につけて口にはこぶ。ツマは輪切りにした玉葱。これまた

 

冷えていて、まことに美味しい。焼酎のサカナとしては結構なもので、呑むほどに酔うほど

 

に、酒精は五体を駆けめぐる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4

 

 海はエナメル色にかがやき、小波は陽光をはじいて無数のきらめく発光体と化している。

 

蒼弓(そうきゅう)には綿雲がうかんでい

 

る。太陽はすでに西の山に姿を隠して

 

いるが、天はまだ明るい。海は藍色を

 

深めていく。焼酎を湯飲み茶碗につい

 

でさらに飲み、タコを噛む。毛穴という

 

毛穴から汗が吹き出てくる。酔いにま

 

かせて思い出話に花を咲させていると、

 

いつの間にか東の水平線から月が

 

白い姿をあらわしていた。(完)。

 

     

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