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焼酎今昔―J終わりよければ

 

 午前中の便で宮崎空港に着くと、驚いたことに友人の

 

ウーやんがまちかまえていた。ベースボールキャップを

 

眉毛が隠れるほど目深にかぶり、丸っこい躰にスタジア

 

ムジャケットを着こんでいる。トレーニングパンツにサン

 

ダルがけ。靴下も履いてない。宿酔いなのか顔がむく

 

んでいた。目が充血している。

 

 「焼酎飲むぞ、つき合え」と、ウーやんはいきなり切りだ

 

した。〈なんだ、どうした、なぜ朝ッぱらから焼酎なのか?〉

 

と問い返すいとまも与えず、ウーやんはさっさと郷土料理

 

の店に向かった。窓際の小座敷に上がりこむと、焼酎と

 

ツマミにアゲミを注文する。それからは腕組みしたまま無言、ベースボールキャップをとろ

 

うともしない。膳が整うと、ウーやんは仏頂面のままグイグイ焼酎をあおった。

 

 「どうした? すこし荒れちょらせんか?」。ウーやんは、やにわにベースボールキャップ

 

をとった。「ワアッ、どうしたッ!」私は思わず叫び声をあげた。

 

 ウーやんの額から横ッ面にかけて、鉢巻きのようにコブが青黒く盛り上がっていたから

 

である。ウーやんがボソッと言った。「うちんヤツにドンブリ鉢でなぐられた」。

 

 「エッ、そりゃ、おだやかじゃねえな。原因はなにか?」。ウーやんはしばらく目を伏せて

 

いたが、やがてボソボソ話しだした。一分後、私はのけぞって笑いを爆発させていた。

 

 昨夜のことだそうである。冬の到来を告げる霧島おろしの夜風が、宮崎市内を吹き荒れ

 

た。冷えこみが厳しかったので、ウーやんは早くから台所のテーブルで晩酌を始めた。

 

同居しているお母さんは、近所の親戚の家に泊まりがけで出かけ、息子は仕事からまだ

 

帰らず、娘二人も遊びに出ていた。酔いがあがったころ夕食になったが、奥さんはさっさと

 

食べ終え、「お風呂にはいる」といって台所から消えた。話相手がいなくなった。

 

ウーやんは急に沈黙の空間に放り出された。

 

所在なくラッキョウと鮎(あゆ)のウルカをツマミに

 

焼酎を呑みつづけていたら、携帯電話が鳴った。

 

耳にあててスイッチを押すとスナックの小ギャル

 

の元気のいい声がとびこんできた。

2

 

 「このごろちっとも遊びにこんわァ。どうしちょっと?」「オッ、相変わらずかわいい声じゃ

 

な。どうか、忙しいか」といったたわいのない会話は、ウーやんがすっかりできあがってい

 

たのですぐに過激になっていった。調子にのって小ギャルとワーワーキャーキャーふざけ

 

まくっていたウーやんは、ふっと異様な気配を背中に感じた。振り向くと躰(からだ)にバス

 

タオルを巻きつけた奥さんが、濡れ髪たらして後ろに立っていた。

 

 眼が釣りあがって、夜叉のような形相

 

になっている。次の瞬間グワァンと頭が

 

鳴って、目から火花が散った。ドンブリ

 

鉢でカマされたのである。「アイターッ、

 

わりゃ亭主になにすっとかァ」ウーやん

 

は叫んだが、それに続いたのは怒りの

 

罵声とドンブリ鉢の猛襲だった。ウーや

 

んは台所から廊下に逃げ、玄関から外

 

にとびだした。とっさにハンガーにかかっ

 

ていた息子のスタジアムジャケットをつかんだのは、〈外は寒かろう〉と思ったからだそう

 

だ。ガチャリと玄関に鍵がかかり、ついでパタパタと雨戸が閉められた。ウーやんは寒空

 

のもとに叩き出された。

 

 「それで、そんげなブカブカを着ちょっとか。でも、なんで家ん中でギャルなんかと話し

 

たつか? 最初から携帯もって外に出て話せば、なにしゃべっても安全じゃったじゃろが」

 

「昨夜(よんべ)は冷えこんだつぞォ。外に出っとがヨダキかったつよ」。ヨダキイは宮崎の

 

方言で、大名言葉の「余は大儀である」がなまって「面倒くさい」という意味で使われてい

 

る。「話が矛盾しちょるわい」と、私は言った。

 

 後日談だが〈台所の声がよくマア風呂

 

場までとどいたもんだ〉と、私は奥さん

 

にそのことを訊ねると「あん人、この頃

 

耳が遠くなったとです。あんときも酔っ

 

ぱらって声が大きくなって…喋っちょる

 

こつが風呂場までハッキリ聞こえてき

 

て…私しゃ、モウいろいろ思い出して…

 

腹が立って」。

3

 

 ウーやんは小座敷のテーブルの向こうから、上目づかいで私を見ている。私はウーや

 

んに言った。「そういうこつが原因なら、お前が悪い。子供たちもお袋さんも味方してくれ

 

ん。奥さんにあやまれ。なに言われてもゴメンナサイ。ゴメンナサイの一点張りじゃ」

 

の「そこを、お前が…なんとか、とりなして」「なに言うか。夫婦モメゴトに、他人のオレが

 

入れるか」「じゃろか…じゃろなァ」「だいたいお前にゃ前科があるが」。

 

 かれこれ十数年前のこと、ウーやんは盆休みで里帰りしていた幼なじみの女性にひょっ

 

こり出会った。大阪でスナックを何軒か経営しているという。「ア〜ラ、おひさしぶり」「なつ

 

かしいのオ。コーヒーでも飲もうか」が「メシでも一緒に」になり、焼酎が入ったら甘い雰囲

 

気になって、ウーやんは虫が蜘蛛にクルクルと巻きとられるように巻きとられ、気がついた

 

らホテルでそのことが終わっていた。それが奥さんにバレた。ウーやんは締めあげられ

 

た。

 

 「アンタ、こうじゃったそうじゃないけ!」「アノな、ソレはな、ツマリな」。目を白黒させて

 

弁解これ努めるウーやんに「ちゃんと確かな人から聞いたとよッ。ごまかそうたってダメ

 

よッ」と奥さんは迫った。〈眼が三角になって…そりゃもう、オリャ殺さるるかと思うた〉。ウー

 

やんはなんとか窮状(きゅうじょう)を脱しようと、必死に知恵をしぼり「ナア、お前」と切りだ

 

した。

 

 「春のうららかな日を想像してくれ。俺

 

はいい気持ちで野辺を歩いちょった、と

 

する。すると野菊が一輪咲いちょる。

 

〈アァ、美しいなあ〉と思うじゃろうが。

 

さすれば、思わず手をのばして、その

 

野菊を摘みとる。こりゃ人情というもん

 

じゃろ? じゃけど、折られた花はすぐ

 

しぼむ。その点、お前はちがう」「どう、

 

ちがうとねッ」「お前は庭に咲くバラの

 

花じゃ」奥さんの眼がすこしなごんだ。

 

「どういう意味ね?」。〈もうひと押し〉とウーやんは勢いこんだ。「棘(とげ)があるけど大事

 

にする」。次の瞬間奥さんの右手が閃いて、ウーやんは頬をしたたか張りとばされていた。

 

 「あれは日本語の表現の問題じゃったが、あんときと比べりゃ、こんどのこつは大ごと

 

じゃなかろうが。法華経のドンツク太鼓とおんなじじゃ。ゴメンナサイの一点張りでいけ」

4

 

「それしか、ねえか…ねえじゃろナ」。ウーやんは気弱げに顔を窓の外に向けた。旅客機

 

が一機、轟音と共に光のみなぎる南国の冬の空に舞いあがっていった

 

 それから数日後の夕暮れどき、帰京

 

して仕事場にいた私にウーやんから電

 

話がはいった。「ヨイ、元気かい」と声が

 

酔っていた。「もう焼酎が入っちょると

 

か?」「家でチビチビやっちょる。もうす

 

ぐウチんやつが帰ってくるかい、今晩は

 

二人で寿司食いに出るつもりじゃ」

 

「そんなら、ハッピーエンドじゃったっち

 

ゃな」「もちろんよ。あのナ、夫婦ちゅうもんはナ、ときどき荒れたほうがアトがようなるもん

 

よ。お前ンような独り者にゃわからんじゃろがナ」〈調子のいいやつだ〉と私は受話器を置い

 

た。なんの脈絡(みゃくらく)もなく、シェークスピアの戯曲の題名が脳裡に浮んできた。

 

「終りよければ、すべてよし」。私は仕事机にもたれこみ、タバコをくわえて火を点けた。

 

ついで、笑いがこみあげてきた。(完)。

 

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