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焼酎今昔―I神話の里の焼酎

 

 秋が深まると、高千穂の国見ヶ

 

丘には美しい雲海があらわれる。

 

丘は九州山脈に囲まれている。

 

山稜は大波のように峰をつらね

 

て東に勾配を低め、空はその

 

一角でひろびろと広がる。雲海

 

の季節は晩秋。この時期、高千穂

 

の大気はすでに肌を削ぐように

 

冷たい。山里ではススキの穂が白く光り、クヌギやナラは葉を落とし、スギやマツ、ヒノキ

 

だけが山肌に張りつくように黒い縞模様を描いて、山々は冬支度を急いでいる。

 

 雲海を見ようと、人々はまだ明けやらぬ国見ヶ丘に立つ。雲の海は暗く夜の底に沈み、

 

聞こえるのは飄々(ひょうひょう)と吹きすぎる山風のみ。やがて東の空が明るみを帯びる。

 

つぎの瞬間一条の光が峰をこえて投げかけられて、鈍色(にびいろ)の雲はたちまち淡紅

 

色に染め上げられ、太陽が峰をこえて姿を現すと雲の絨毯(じゅうたん)は朱色に変わり、

 

しだいに白銀に輝き始める。国見ヶ丘が神性を帯び、訪れる人々を神話の世界に誘う瞬

 

間である。

 

 かつてフランス人の作家を、この丘に案内したことがある。朝の光を浴びて輝きを増して

 

いく雲海を眺めながら、「私はこの丘からの、この眺めが好きだ。日本の神話では、神々

 

が天から国見ヶ丘に降り立ち『国見をした』と伝えられている。神々はつくづくいい場所を選

 

んだとは思わないか?」。友人は雲海に目を向けたまましばらく黙っていたが、口を開くと

 

神威にうたれたように「だからこそ、彼らは神なのだ…」と静かにつぶやいた。

 

 さて、焼酎である。神と酒とは切ってもきれないが、酒が清めの儀式に用いられるのはい

 

ずこも同じで、十二月から二月にかけて高千穂の村々で夜神楽が舞われるとき、見物客

 

は焼酎を飲んできびしい寒さをしのぎ、

 

舞台の床には口に含んだ焼酎が吹き

 

つけられる。宮崎県は焼酎の生産地と

 

して、きわめてユニークな特性をもって

 

いる。原料は芋だけではなく、昔からソ

 

バ、麦、トウモロコシ、粟(あわ)、稗(ひ

 

え)などの雑穀類からはじまりクリやカ

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キにいたるまで、ありとあらゆる材料が使われてきた。

 

 ソバで造られる焼酎についていえば、

 

九州の地酒にすぎなかった焼酎を一躍

 

メジャーに押し上げたという大功績があ

 

る。ソバの焼酎は焼酎独特の匂いがな

 

く、口当たりがやわらかい。だからアッと

 

いう間に女性ファンを獲得して、第一次

 

の焼酎ブームを巻き起こした。ちなみに

 

、ソバ焼酎が本格的な誕生を見た昭和

 

四十六年(一九七一)には、日清食品がカップヌードルはじめて売り出している。

 

 ソバ焼酎ブームの口火をきったのは、雲海酒造という酒造会社だった。社長の中嶋美幸

 

さんは、山深い神話の里からさらにもう一山奥に入った五ヶ瀬町の出身で、宮崎県では

 

立志伝中の人だが、一度あるテレビ番組でご一緒したとき、気さくに苦労話を語ってくだ

 

さった。「なんとかして県外にも売れるごつせにゃならん。そう思うて、色々やってみたが、

 

どうもうまくいかん。いい味がでらん。しかし造ったもんは、ウ捨てる訳にゃいかん。そこで

 

木樽ン中にいれて、三ケ月ほどホタラカシにしちよったら、味がようなっちょる。こりゃいけ

 

る、ちゅうんで売り出したってすわ」。この辺りのエピソードは、「十六世紀のスコットランド

 

で、密造したウイスキーをオーク(樫)樽に詰めて山の中に隠していたら、黄金色に色ずい

 

ていい美味になっていた」というのとよく似ている。

 

 「で、いまは樽詰めに?」

 

 「はい。樽詰めにしてトンネルの中に貯蔵しちょります」「トンネル?あの、汽車の?」。驚

 

いて問い返すと「そうです。一度見にきチください」という訳で、高千穂まで出かけたのは

 

平成九年(二〇〇一)の十月だった。四囲の山々は澄んだ秋空のもと紅葉が鮮やかで文

 

字どおり錦秋、唐織りの綾錦を見るようだった。

 

 「ここが、そうです」と係りの方に案内されたのは、国見ケ丘から二十分ほど車で走った

 

山の中だった。「雲海・神々の里貯蔵庫」と重々しい名前がつけられている。「ワア、これが

 

焼酎蔵ですか。まるでミサイルの格納庫だア」と同行したカメラマンが思わず声をあげた

 

ほど、頑丈な鉄扉がものものしく入口をふさいでいた。トンネルは本物の鉄道用トンネルな

 

のである。旧国鉄(現在のJR)は二十世紀の半ばに一大壮挙にのりだし、九州山脈を真

 

横にぶちぬいて、トンネルで宮崎県の延岡と熊本を汽車で結ぼうとした。「熊延鉄道計画」

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である。しかし、いかんせん山腹の片隅を掘っては見たもののあまりの遠大さにたちまち

 

志むなしゅうなり果て、計画は棚上げとなってしまった。あとにはトンネルがいくつか残さ

 

れ、文字どおり無用の長物となった。そして二十

 

余年の歳月が流れたとき、高千穂町の町長さん

 

は「なんとかならんか?」と中嶋さんに相談をも

 

ちかけた。そのとき中嶋さんは、視察で訪れたフ

 

ランスのモエ・エ・シャンドン社が岩窟を貯蔵庫と

 

して、ドン・ペルニョンを保管していたことを思い出

 

した。中嶋さんはポンと膝をうち、「されば、焼酎蔵

 

として使ってみたらどうじゃろか?」と提案した。町

 

長さんは手を叩いてよろこび、ここに焼酎のトンネル貯蔵庫が誕生した。

 

 

トンネルに入ると、冷い空気が躰をくるんだ。ライト

 

が点けられると、一直線にのびた長さ千三百メー

 

トルのトンネルが現れた。焼酎のたっぷり詰まっ

 

たカシ樽が、奥に向かって片寄せで三層に積み

 

上げられている。一樽四五〇リットル入り。高さ

 

は大人の身の丈ほどもある。樽の数は千五百。

 

新樽は木目がまだあわあわしいが、年をへた樽

 

は湿り気を帯びて黒ずんでいる。地下水が規則

 

正しいリズムで滴っていた。トンネルには靄(もや)がたちこめていて、奥まで見とおせな

 

い。「トンネル内の温度は?」「十五、六度ですかね。湿度は七〇パーセントといったところ

 

でしょう」。

 

 ヨーロッパのワイン蔵に比べると、

 

湿度がはるかにたかい。しかしそれだ

 

けに、原酒が蒸発する量は押さえられ

 

る。樽詰めのワインが蒸発して目減り

 

するのを、ヨーロッパでは「天使の分け

 

前」というが、日本は八百万(やおよろ

 

ず)の神々の国だから天使の分け前は

 

当然すくなくなる。

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 地鳴りのような響きが、靄をとうして聞こえてくる。「先程から気になっていたんですけど

 

ね、あれは?」「伏流水が吹き出しているんですワ。雨が続いたから、水の勢いが強まっ

 

ちょるンでしょう」。奥に進むにつれて水音は激しくなった。トンネルに屈折反響して轟々と

 

鳴り響く。やがて、その場所にいたった。分厚い鉄板が、ボルトで岸壁に固定されていた。

 

鉄板は落下する水の圧力を受けてたわみ、こまかく震えている。四辺から激しい水飛沫が

 

吹き出していた。

 

 「トンネルを掘ったとき、水脈にいきあたったらしいんですワ」「湧水?」「いえ、山ン水。

 

岩盤の中を天然の洞窟が走っちょって、流れ落ちてくるんですワ。じゃかい、涸れるこつも

 

あります。渇水期に洞窟ん中に入ってみたんじゃが、岩肌はツルツルしちょって滑らかで、

 

まるで竜の喉ン中を見るごつあった」。竜を思いつくなど、神話の里の住人の例えはまこと

 

に想像力にあふれている。水質がよいので、近在の人には飲料水になっているという。

 

天然の水がそのまま飲めるというのは、現代ではそれだけで大変果報なことだといって

 

いい。美味い焼酎ができるはずである。手に 水を受けて飲んでみると、味蕾に甘くしみた。

 

 私がトンネルを訪れた年、雲海酒造は那由多の刻(なゆたのとき)という木樽で熟成させ

 

たソバ焼酎を市場に送り出した。那由多は梵語(ぼんご)である。数の単位の最大極数

 

「無量大数」の二つ手前、「不可思議(言葉に表せない数)」のもうひとつ前の言葉で、「き

 

わめて大きな数」を意味する。宇宙を感じさせるほどの単位を焼酎の名に冠するセンスは

 

なかなかのもので、「美味よ、永遠なれ」の願いを感じさせる。

 

 トンネルを出ると、秋空が目にまぶしかった。天空には燦爛(さんらん)たる光の粒子が

 

満ちて、棚田には豊かに実をつけた稲穂がみのり、畦道(あぜみち)には彼岸花が赤い花

 

弁をひらいている。田に沿った用水路を、銀の帯のような山の水が流れ落ちていく。モズ

 

が鋭い声で鳴いていた。「トンネル蔵ができあがって落成式をしたとき、こン流れを亀が

 

這い上ってきてですなア」と係の方は、うれしそうにいった。出席者は皆大喜びだったと

 

いう。祝いの儀式に万年の長寿を祝(こと)ほぐ亀が姿を見せるなど、それだけでもなに

 

やら神話めいていて面白い。(了)。

 

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